市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

栃木県東部の市町村を探検しよう!(栃木県栃木市〜那須烏山市〜茨城県常陸太田市)

2021年5月23日

栃木県栃木市那須烏山市茨城県常陸太田市 116 km

栃木県の県庁所在地、宇都宮市は県のほぼ中央に存在しているのだが、その南、西、北にはかなり行ったことがある。しかし、宇都宮市の東はまだほとんど足を踏み入れていなかった。そこで今回はそこへ行き、未踏の市町村の制覇を行った。

 

県の名前を冠するのに県庁所在地ではない、栃木市栃木駅よりスタートした。市街地を抜け、関東平野北部の広い田園地帯を北東へ走っていくと壬生(みぶ)町に入った。

やがて壬生市街地に入った。壬生町宇都宮市に隣接することもあり人口4万人も存在し、市街地もそれを反映してかなり近代的であった。戦国期以前から壬生城を中心に街が開かれており、江戸期には壬生藩の中心地として栄えた。

ここからは真東に進み、下野市とそれを縦断する国道4号線を通過し、上三川町に入った。この町も宇都宮の南隣にあり、人口3万人と町の中では栄えている。日産自動車をはじめ、数多くの工場が存在する。

鬼怒川を渡って真岡(もおか)市に入った。栃木県南東部の芳賀地域の中心地で、人口8万人が存在する。しかし、市街地の周りは広い田園地帯に取り囲まれていた。

真岡市には真岡鐵道が走っており、その中心駅の真岡駅はSL機関車を模倣した特徴的な駅舎となっている。駅付近にSLの博物館がある他、真岡鐵道でも臨時的にSLが走っており、街全体でSLを推しているようである。

この真岡市の北側には芳賀郡に属する4つの町が点在している。真岡市からさらに東方に走ると、そのうちの一つである益子(ましこ)町に入った。陶器の一種、益子焼の生産地として知られる。

益子市街地からは北へ曲がり、茂木(もてぎ)町に入った。また、茂木町か入ってすぐに十字路があり、そこを西へ曲がると市貝町となる。いずれも町の中心地までは行かず、周縁を通り過ぎるだけとなった(とはいえ、茂木町は南北に細長いため、西端を延々と走っていった)。ここら辺になると関東平野は尽き、風景も田園から森林地帯へと変貌していった。

この周辺は芳賀台地というらしく、下流の田畑に水を供給している地帯のようである。

さらに北に行くと、那須烏山市に入った。平成期に新設合併された市で、ここまでくると関東都市圏の恩恵は薄れるようで、人口は2万人余りとかなり少ない。

ただし、室町期より烏山城を中心として繁栄した歴史ある町であり、今でも山あげ祭という伝統的な祭りが行われている。

その後はなおも北上し、那珂川町に入った。こちらも平成期に新設合併で誕生し、那珂川の谷間を中心に広がる山間部の町である。その後は南へ引き返した後に東へ向かい、少し坂を上り県境を越えて茨城県常陸大宮市に入った。

その後は面積の広い常陸大宮市をひたすら東南に下っていき、常陸大宮市で東方に向かって低山を越え、常陸太田市に入った。

常陸太田市の市街へ向かう途中、セイコーマートというコンビニを見つけた。このセイコーマートは北海道のインフラとでもいうべき存在で(後に北海道へ自転車遠征した際にも大いにお世話になった)、ほとんどの店が北海道にあるが、北海道への物流経路の途上に存在する埼玉県と茨城県にも一部店舗が存在する。

常陸太田市常陸大宮市と同様、内陸に位置し、市のほとんどが中山間地帯である。平安末期から安土桃山期まで現在の茨城県にあたる常陸国を支配していた佐竹氏の本拠地だった地で、現在も祈願所の佐竹寺が残っている。

そして、常陸太田駅に着いた。今回はここで旅を終わりにし、輪行にて帰宅した。

 

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今回の制覇市町村:

栃木県壬生町上三川町、真岡市、益子町、茂木町、市貝町那須烏山市那珂川町

茨城県常陸太田市

 

制覇状況:384/1,718