2020年11月21日
東北地方。古くは夷狄の地であり、「日本」の一部に組み込まれてからも未開の地としてのイメージを持たれてきた。それもそのはず、山がちで平野が少なく、世界有数の豪雪地帯で、人の居住を拒むような地域も少なくない。また、南北に細長く、最南端の福島県から最北端の青森までは約500kmほどのスケールである。今まで東北地方には玄関口の福島県しか行けていなかったが、今回は福島県を超えて宮城県、岩手県と東北三県の縦断を行った。
1日目
始まりは茨城県水戸駅とした。ここからJRの水郡線に沿って内陸部を進み、福島県を目指す。
常陸大宮市は5町村が合併して成立した市だが、中心地は旧大宮町となる。だが、中心駅名は常陸大宮駅であり、新市名と一致する。駅名が先にあり、自治体名が後に来る、珍しいパターンである。
駅前には案内看板もあった。市内にはいくつか温泉があるようだ。
次第に平野は狭まり、山あいの谷という様相に変貌していった。やがて旧山方町に入った。
谷底を流れる久慈川を何度か渡りながら北上した。ここまで来ると水も澄んでおり、田舎にきた、という実感が湧く。
長かった常陸大宮市を抜け、大子(だいご)町に入った。
町内には茨城県の中では有名な観光地、袋田の滝がある。ただ、国道からは少し離れているため、今回は訪れなかった。
久慈川と押川が合流してできた平地に大子市街は存在する。川の合流地点や市街も見渡すことができた。
どうやら市街は温泉郷となっているらしい。
なおも久慈川を遡っていき、ついに福島県(矢祭町)に入った。なお、福島県になっても久慈川は続くので、県境に大した坂はなく、楽々県境越えをすることができた。
ここら辺の国道のすぐ側には矢祭山があり、駅もあるため、アクセスしやすい山となっている。周辺に人家はなく、静謐な雰囲気を醸し出していた。
この狭い谷を抜けると少し幅の広い平地に出て、程なく矢祭市街に入った。字としては東館と呼ばれる地には、いくばくの商業施設のほか、もったいない図書館という謎の施設があった。どうやら矢祭町では「もったいない」をキーワードに行政改革をおこなっており、その一環で名付けられた施設のようである。
細長い盆地部を北上し、塙町に入った。
田園と住宅街が入り混じる道を行き、塙市街に入った。塙は江戸時代には幕府の天領となっており、それをアピールした名の道の駅があった。
ここら辺までくると、久慈川の水量も減少し、だいぶ上流まできたことを実感する。
棚倉町に入った。江戸時代には棚倉藩の城下町として栄えた地である。
ここまでは大体平坦で、登ったとしても緩い坂だったが、棚倉市街直前で少し険しい坂となった。無事、上り切って棚倉市街に入った。昭和の面影残る街であった。
ここで、棚倉藩のシンボルだった棚倉城跡に寄り道する。織田信長の重臣、丹羽長秀の子の長重によって建築された城である。天守はなく、小高い丘と幾つかの遺構が残っているのみである。
市内には時の鐘と思われる建築物も残っていた。
最後に棚倉駅に寄った。例の如く、観光案内マップも併設されていた。
そして、棚倉市街を出る頃には日もすっかり落ちてしまった。久慈川は棚倉市街で西に曲がるのでここでお別れとなる。代わりに阿武隈川流域に入り、下り坂となった。
この後は暗くなったこともあり、先を急ぐことにした。浅川町、石川町、玉川村と面積の小さい町村を次々と駆け抜けて行った。
須賀川市に入って、焼肉店で食事を済ませた後、東北の最重要国道である国道4号線に合流した。その後は郡山市まで行き、市内のホテルに宿泊した。
2日目に続く