市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

ちょっとお出かけアラカルト(6)(埼玉&群馬編)

①2019年6月8日

埼玉県川越市〜白石峠〜埼玉県嵐山町 65km

この日は埼玉県の白石峠を登ることを目標としつつ、近辺の市町村を制覇した。

川越駅から坂戸市、ついで未制覇の鳩山町に入った。少し山がちな地形だったが、平地には田畑が広がっていた。

ときがわ町に入り、いよいよ白石峠を登る。

白石峠は関東平野秩父盆地を隔てる山嶺に存在する標高800m近くの峠であり、平均勾配が高くヒルクライムの難易度は比較的高い。実は、以前白石峠に挑んだ時は足がつって途中リタイアしてしまい、これがリベンジマッチとなる。今回も苦しんだものの、なんとか登ることができた。

峠からは別の道を使って再び関東平野側に降りていった。途中、未制覇の東秩父村に入ったが、残念ながらカントリーサインを撮り逃してしまった。

その後小川町、ついで未制覇の嵐山町に入った。町名の由来は京都の嵐山(あらしやま)だが、読み方は「らんざん」である。武蔵の小京都と呼ばれる地である。

今回はそのまま町の中心駅の武蔵嵐山駅まで行き、輪行にて帰った。



②2019年9月7日

埼玉県秩父市群馬県下仁田町群馬県藤岡市 132km

この日は埼玉、群馬県境にある志賀坂峠を登るついでに、下仁田町などの市町村制覇をおこなった。

埼玉県の秩父駅から国道299号に合流し、山を迂回しつつ北西へ進んだ。途中、小鹿野(おがの)町に入った。通常タイプとイラスト付きタイプの両方のカントリーサインが併立していた。

小鹿野もまた、古い街並みが存在し、独自の歌舞伎が生まれたことでも有名である。

市街部を抜けると山の中に入り、やがて志賀坂峠の上りが始まった。前述の白石峠よりは勾配が小さく、道も比較的広いかつ綺麗なので、スイスイと登っていった。峠の頂上には短いトンネルがある。

トンネルを抜けると群馬県神流町に入った。町内を流れる神流川がその名の由来である。

峠周辺は見晴らしがよく、どこまでも続く山塊を見下ろすことができた。

神流川流域まで一気に下り、国道462号と合流して、西へ神流川を遡っていく。途中、恐竜センターなるものを見つけた。神流町は恐竜の化石が発見される地として有名なようである。

上野村に入った。群馬県旧国名、上野(こうずけ)と表記は一致するが、読み方は「うえの」であり、ややこしい。群馬県の南西端に存在し、村内のほぼ全てが山林で覆われている。

村の中心地を通り過ぎ、なおも奥へ行くと、十石峠とぶどう峠という二つの峠の分岐点に辿り着いた。どちらも長野県との境にそびえ立ち、標高は1,500m近くを誇るというなかなか厳しい峠である。今回はどちらの峠にも行かず、直進後、すぐに北へ曲がって下仁田町を目指す。

少し坂を登るとすぐに長いトンネルに突入する。トンネル内に村境が示されており、南牧村に入ったことが分かった。

トンネルを抜けたが、残念ながら南牧村カントリーサインは存在しなかった。ちなみに、長野県にもこのすぐそばに南牧村という自治体が存在し、非常にややこしいことになっている。

山間の地を抜け、徐々に田畑が出現し出した頃に下仁田町へ入った。

下仁田には二つの有名な農産物がある。ネギとコンニャクである。それぞれ下仁田ネギ、下仁田コンニャクとしてブランド化されている。下仁田市街まで下り、市街地をもてみるとコンニャク料理屋が存在していた。

市街周辺には数多くのコンニャク畑があり、一つの畑あたりでも、かなり広い面積を有している畑もあった。

下仁田のおかげで群馬県は日本全国のコンニャクの9割以上を産出し、こんなに広いコンニャク畑が見られる地はここぐらいだろう。

無論、下仁田ネギを栽培している畑も所々あった。

東へ向かい、富岡市に入った。世界遺産富岡製糸場で有名だが、行ったことがあるので今回はスルーした。

富岡市を通っている間に日が暮れてしまった。ひたすら東へ向かい、途中一瞬甘楽(かんら)町に入った。

その後は旧吉井町(現在は高崎市の一部)、藤岡市を通過して再び埼玉県に入り、神川町を制覇した。

そして寄居駅まで行き、輪行にて帰宅した。

 

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今回の制覇市町村:

埼玉県鳩山町嵐山町小鹿野町神川町

群馬県神流町上野村下仁田町富岡市甘楽町

 

制覇状況:322/1,718

 

2泊3日で福島、宮城、岩手の東北3県を縦断しよう!③(茨城県水戸市〜岩手県一関市)

3日目

宮城県仙台市岩手県一関市 100 km

3日目は仙台市のホテルより旅路を再開させた。

さて、これから岩手県に向かうわけだが、今まで通り国道4号線を北上しても良いのだが、どうしても寄りたい場所があったので、少し遠回りした。

それが日本三景の一つ、松島である。松島に向かうには北東に進む必要があるので、その方角に自転車を走らせた。

相変わらず幅が広い仙台郊外の国道45号線を走っていくと、多賀城市に入った。古代に朝廷が東北地方を治めるための一大拠点だった多賀城があった地であり、現在は仙台のベッドタウンとして、住宅街や商業施設が立ち並んでいた。

続いて塩竈市に入った。多賀城市同様、仙台の衛星都市としてその都市圏に組み込まれている市である。

ただ、塩竈の旧市街は古来より多賀城の外港として栄えてきた港町の面影を残しており、現在でも塩釜港は重要な港として機能している。

塩竈市街を出ると少し山の中に入ったが、利府町に入ってしばらくすると再び海岸沿いの道になった。利府の中心地は内陸にあるのだが、一部、このように海岸に面している地域もある。

やがて松島町に入った。カントリーサインも洒落たイラストになっている。

松島町に入ってしばらくすると、海沿いのサイクリングロードがあったのでそこを走ってみた。すると、目の前に松島の多島海の様子が広がっていた。観光客もあまりいなかったので、隠れスポットを発見したという思いで人知れず興奮した。

やがて、松島の最寄りである、松島海岸駅に着いた。やはり周辺は観光客で溢れかえっており、お土産屋、飲食店なども所狭しと並んでおり、完全に観光地化していた。

遠くには松島海岸を構成する島の一つ、福浦島へかかる橋も見えた。せっかくなので入場料を払って橋を渡ってみた。

福浦島を散策し、橋とは逆側への対岸へ出ると、眺望がひらけて無人島がいくつか見えた。ただ、松島の全貌はあまり把握できず、展望台に登るべきだったかもとは思った。

本土に戻り、少し小高い丘に登ってみると松島を広く見渡すことができた。こうみると、他の地ではみられない、特異な景色であることをなお実感できた。

十分堪能した松島海岸を出て、松島町の市街で北へ曲がり、岩手県を目指していく。

早速市街の裏にそびえる山地を越えていった。勾配は大したことはなかったが、これまで2日間酷使してきた足が悲鳴を上げ始めた。

峠を越え、下っていくと一面田んぼの平野に突入した。宮城県も他の東北諸県に負けず劣らず、米の一大産地であり、ひとめぼれなどの有名な品種を生み出している。

このような田園地帯で強い逆風に見舞われながらなおも北上し、大崎市、ついで美里町に入った。いずれも平成の大合併で出来た自治体で、今回通った地方は両者の中心地からは大きく離れている。

その後、いつの間にか涌谷町に入っていた。合併が盛んな宮城県北部の中では珍しく、どの市町村とも合併せず生き残った町である。日本で初めて金が産出された地であるらしい。

涌谷市街を抜け、さらに北上すると登米(とめ)市に入った。涌谷町のカントリーサインもあった。

登米市に入っても基本的に田畑が優占しており、むしろその面積を広げているようであった。登米市という名の通り、米を多く栽培しているようだ。景色の見通しがいいのは結構なのだが、遮るものがない分、逆風をモロに受けてペダルに力を入れてもろくに進まなかった。

それでもゆっくりと進み、なんとか登米市中心市街に着いた。登米市は9町が合併してできた市だが、そのうち市役所があるのは迫町でり、その市街地に来たのである。

ここからは北東に向かって北上川に突き当たった後、北西に進むという遠回りの道をとった。近道は道順が複雑で、かつ、峠を越えることが予想されたからである。

岩手県を流れている間は盛岡を始めとする内陸の主要都市のそばをことごとく通ることになる北上川も、宮城県では大半が田園地帯もしくは山間部を縫って流れている。

そして北西に進み、上り勾配となってしばらくするとついに岩手県に入った。ハクチョウのカントリーサインが出迎えてくれた。

そしてここから人家も田畑もほとんどなく、車通りもない区間に突入した。日暮れ時に差し掛かったこともあり、あまりの人気のなさは、今にも熊や猪が飛び出してきそうな雰囲気で、今までにない恐怖心を呼び起こした。できるだけ早く通り抜けるため、アップダウンのある道を必死に進んだ。

眼下に花泉の街が見えた時は心底安心した。しかし、そこから一関市街まではさらに10km以上を要し、途中、完全に暗くなってしまった。一関市街の光が見えた時は感動すら覚えた。一関駅まで行き、輪行にて新幹線に乗り込み、帰宅した。

今回は基本的に晴れか曇りで、気温も寒くなかったが、三日目の疲労と逆風に悩まされた形となった。東北を完全制覇する日はまだまだ遠そうだ。

 

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今回の制覇市町村:茨城県常陸大宮市大子町

福島県矢祭町、塙町棚倉町、石川町、浅川町、玉川村本宮市大玉村二本松市福島市伊達市桑折町国見町

宮城県白石市蔵王町大河原町、村田町、柴田町岩沼市名取市仙台市多賀城市塩竈市利府町、松島町、大崎市美里町涌谷町、登米市

岩手県一関市

制覇状況:313/1,718

 

2泊3日で福島、宮城、岩手の東北3県を縦断しよう!②(茨城県水戸市〜岩手県一関市)

2日目

福島県郡山市宮城県仙台市 123 km

2日目は郡山市のホテルからスタートした。郡山市街を通って郊外で国道4号線に合流し、そのまま北上した。福島県最大の都市だけあって、郊外であっても国道は広々とした四車線であった。

本宮市に入った。平成の大合併がある程度落ち着いてきた時期に1町1村が合併してできた市である。

本宮市に入っても相変わらず四車線であり、沿道にはチェーン店商業施設も並んでいた。

だが、田畑が広がっている箇所も存在し、田畑の向こうには福島の名山、安達太良山が聳えていた。

国道を東にまがり、本宮市街に立ち寄った。本宮駅は工事中で全貌がよく見えなかったが、市街は古い街並みで、観音堂もあった。

本宮市の次に入ったのは大玉村で、これは事前に想定していなかった。どうやら、村の西端を少し通るだけで、村の中心は国道からは離れているらしい。

次いで、二本松市に入った。郡山市福島市のちょうど中間に存在し、両市と密接な関係にある。

山間の地を抜け、細長い狭隘な盆地に入った。二本松市街はここに存在する。

二本松は室町時代から戦国時代にかけて大名として勢力を持った畠山氏(二本松氏)の本拠地であり、当地に二本松城を築いて居城としていた。畠山氏は隣に勢力を持つ伊達氏と抗争を続け、伊達政宗の父、輝宗を殺害したことにより、政宗によって滅ぼされた。江戸期も丹羽氏10万石が治める二本松藩の城下町として栄え、実際に訪れてみると町並みは当時の趣を残していた。二本松城跡は市街北の山上にあり、時間の関係上行くことはできなかったが、その山麓の大手門跡付近には二本松神社が存在し、十分歴史の重さを楽しむことができた。

二本松駅周辺には街歩きマップが存在し、やはり市も城下町という側面を推しているようである。

二本松市街、そして隣の安達の街(平成期に二本松市に吸収)を抜けると、山中に入った。驚くべきことに、山中に入っても国道の四車線は維持されていた。東北のスケールの大きさを実感しつつ、アップダウンのある道を進んでいくと、道の駅周辺で福島市に入った。

福島市境から福島市街まではなおも15 km以上あり、まだまだ森に囲まれた道が続いた。途中、地方国立大学あるあるだがかなり山の中に位置する福島大学の近くを通り、
市境から10 kmほどしてようやく福島市街が広がる福島盆地が眼下に見えてきた。

盆地に入り、チェーンのロードサイド店舗が立ち並ぶエリアを抜け、ついに福島市街の中心部に入った。ちなみに、看板にある通り、福島県から秋田市まではゆうに300 kmを超える。想像を絶する距離であり、東北の広さがよくわかる。

途中、福島県庁にも寄った。木々に囲まれた、涼しげな庁舎であった。

そして、福島駅にたどり着いた。県庁所在地の中心駅、かつ新幹線停車駅だけあって立派な駅舎であった。福島市は元々城下町として栄え、明治期以降も交通の要衝として栄えた。県庁所在地としては珍しく農業が盛んで、モモなどを栽培している。また、飯坂温泉などの温泉地にも恵まれている。

昼ごはんとして駅前で福島ラーメンを食べてから、再び国道4号線に合流してなおも北上した。

伊達市に入った。平成期に新設合併によってできた市であり、同名の伊達市が先に北海道に存在していたが、そちらの許可を得て同じ名を名乗った。その名の通り戦国大名の伊達氏発祥の地である。

伊達市の国道4号沿線は旧伊達町の領域だが、郊外型の商業施設が建ち並んだり、住宅街が見えたりして、福島市ベッドタウンとしての立ち位置を享受している様を感じることができた。

桑折(こおり)町、次いで国見町に入った。いずれも福島都市圏を形成する町だが、ここまでくると農地の割合がかなり多くなり、人口も比較的少なくなっているようである。

国見の中心部からしばらく走ると、坂の勾配が上がっていった。ここから県境の山を越えていくことになる。ただ、最大標高は100m付近で、峠としてはかなり小規模である。

上り坂の終わりかけの地点で宮城県に入った。東北で中心的な立ち位置にある県で、北部には比較的広い平地が存在し、そこに都市や農地が広がっている。ただ、今入った白石市からしばらくは、山がちな地形の中を進むことになる。

カントリーサインにもあるように、白石市白石城を中心に栄えた城下町であった。現在の白石城には復元とはいえ、天守閣が存在する。実際に訪れてみると武家屋敷も保存されており、かなり当時の雰囲気が残っているようだった。

現在の白石市の人口は3万人ほどであり、白石市街はまだ昭和の面影を残しているようだった。多くの地方都市同様、白石市も国道沿いの新市街に経済の中心が移っているようである。

白石市を抜けると、これも想定外だったが、蔵王町に入った。蔵王温泉のある地である。しかしここも南端を少しだけ通って、すぐに大河原町に入った。ちなみに宮城県ではご覧の通り、カントリーサイン自治体の特徴を示すイラストがある。ここに力を入れる都道府県は少ないので、もっと他の県でもイラスト付きのカントリーサインが増えて欲しいものである。

大河原町中心部には町としては珍しく、郊外型商業施設が多数並んでいた。それもそのはず、この町は仙台市ベッドタウン化が進んでおり、人口も2万人強と、町の中では大規模である。また、カントリーサインにもあるとおり、国道と並行して流れる白石川には桜並木があり、桜の名所として知られる。

その後、村田町を一瞬通過し、柴田町に入った。どちらも癖のあるカントリーサインで、やけに印象に残った。

柴田町に入ってしばらくすると再び市街地に入った。以降、平野部は広くなっていき、人家と農地が点在する区間に突入した。

岩沼市に入った。今まで通ってきた道と茨城、いわき方面からの道(常磐ルート)が交わる交通の要衝であり、古くから城下町として栄えた。現在も仙台都市圏の一員として繁栄しており、人口も増えている地である。

岩沼市街はかなり再開発が進んでいるようであり、現代的な家屋が立ち並んでいた。

そしていつの間にか名取市に入っていた。名取市仙台市の南隣に位置し、岩沼市同様ベッドタウンとして8万人近くの人口を有している。また、仙台空港があることでも知られている(岩沼市と敷地を分割している)。ちなみに下の写真は名取駅である。

名取市の国道沿いには常にロードサイド店舗が立ち並び、その状態のまま、仙台市に入った。言わずと知れた宮城県の県庁所在地であり、東北地方の中心都市である。対向車線の名取市カントリーサインも収めることができた。

ここからは8kmほど先にある仙台市街に向かって、暮れなずむ中、自転車を走らせた。

そして仙台市街に入った。人口100万人を有するだけあって高層ビルが数多く立ち並び、大都市の威容を備えていた。それにもかかわらず、道は郊外のような広々とした四車線であり、渋滞もあまり発生していないようだった。その上、市街から少し離れると広域公園などの自然豊かな地が広がっており、杜(もり)の町の異名に恥じない光景であった。総じて、かなり住みやすそうな街だという印象を受けた。

今回はそのような自然豊かな公園の一つ、青葉山公園に向かった。ここは何と言っても江戸期に仙台の中心地であった仙台城の跡地が存在し、仙台城を築いて居城とした戦国大名、「独眼竜」伊達政宗の有名な像が存在する。この像は仙台を象徴すると言っても過言ではなく、仙台=政宗の町というイメージを植え付けている。

この目当ての政宗像は陽がおちかけているということもあり、ライトアップされていた。伊達政宗は幼少期に病気を患い片目しか見えなくなったものの、圧倒的な戦巧者ぶりで東北地方を統一する勢いだった。しかし、全国統一目前の豊臣秀吉に降り、以降は秀吉、そして徳川家康の家臣の一大名として、幕末まで続く伊達氏仙台藩の基礎を築いた。現在でも圧倒的な人気を誇る武将である。

政宗像の付近は展望が開けており、仙台市街を一望の元にできた。他の街とはスケールが異なる、どこまでも続く市街に圧倒された。この公園が観光客で絶えないのも納得の絶景であった。

再び仙台市街に戻ると日は完全に暮れていた。しかし、市街はまだまだ本番であるというかのようにライトアップされていた。

本日はこの仙台市にて夕ご飯を食べ、宿泊した。

3日目に続く

2泊3日で福島、宮城、岩手の東北3県を縦断しよう!(茨城県水戸市〜岩手県一関市)

2020年11月21日

茨城県水戸市岩手県一関市 341 km

東北地方。古くは夷狄の地であり、「日本」の一部に組み込まれてからも未開の地としてのイメージを持たれてきた。それもそのはず、山がちで平野が少なく、世界有数の豪雪地帯で、人の居住を拒むような地域も少なくない。また、南北に細長く、最南端の福島県から最北端の青森までは約500kmほどのスケールである。今まで東北地方には玄関口の福島県しか行けていなかったが、今回は福島県を超えて宮城県岩手県と東北三県の縦断を行った。

 

1日目

茨城県水戸市福島県郡山市 132 km

始まりは茨城県水戸駅とした。ここからJRの水郡線に沿って内陸部を進み、福島県を目指す。

那珂市、ついで未踏の地である常陸大宮市に入った。

常陸大宮市は5町村が合併して成立した市だが、中心地は旧大宮町となる。だが、中心駅名は常陸大宮駅であり、新市名と一致する。駅名が先にあり、自治体名が後に来る、珍しいパターンである。

駅前には案内看板もあった。市内にはいくつか温泉があるようだ。

次第に平野は狭まり、山あいの谷という様相に変貌していった。やがて旧山方町に入った。

谷底を流れる久慈川を何度か渡りながら北上した。ここまで来ると水も澄んでおり、田舎にきた、という実感が湧く。

長かった常陸大宮市を抜け、大子(だいご)町に入った。

町内には茨城県の中では有名な観光地、袋田の滝がある。ただ、国道からは少し離れているため、今回は訪れなかった。

久慈川と押川が合流してできた平地に大子市街は存在する。川の合流地点や市街も見渡すことができた。

どうやら市街は温泉郷となっているらしい。

なおも久慈川を遡っていき、ついに福島県(矢祭町)に入った。なお、福島県になっても久慈川は続くので、県境に大した坂はなく、楽々県境越えをすることができた。

ここら辺の国道のすぐ側には矢祭山があり、駅もあるため、アクセスしやすい山となっている。周辺に人家はなく、静謐な雰囲気を醸し出していた。

この狭い谷を抜けると少し幅の広い平地に出て、程なく矢祭市街に入った。字としては東館と呼ばれる地には、いくばくの商業施設のほか、もったいない図書館という謎の施設があった。どうやら矢祭町では「もったいない」をキーワードに行政改革をおこなっており、その一環で名付けられた施設のようである。

細長い盆地部を北上し、塙町に入った。

田園と住宅街が入り混じる道を行き、塙市街に入った。塙は江戸時代には幕府の天領となっており、それをアピールした名の道の駅があった。

ここら辺までくると、久慈川の水量も減少し、だいぶ上流まできたことを実感する。

棚倉町に入った。江戸時代には棚倉藩の城下町として栄えた地である。

ここまでは大体平坦で、登ったとしても緩い坂だったが、棚倉市街直前で少し険しい坂となった。無事、上り切って棚倉市街に入った。昭和の面影残る街であった。

ここで、棚倉藩のシンボルだった棚倉城跡に寄り道する。織田信長重臣丹羽長秀の子の長重によって建築された城である。天守はなく、小高い丘と幾つかの遺構が残っているのみである。

市内には時の鐘と思われる建築物も残っていた。

最後に棚倉駅に寄った。例の如く、観光案内マップも併設されていた。

そして、棚倉市街を出る頃には日もすっかり落ちてしまった。久慈川は棚倉市街で西に曲がるのでここでお別れとなる。代わりに阿武隈川流域に入り、下り坂となった。

この後は暗くなったこともあり、先を急ぐことにした。浅川町、石川町、玉川村と面積の小さい町村を次々と駆け抜けて行った。

須賀川市に入って、焼肉店で食事を済ませた後、東北の最重要国道である国道4号線に合流した。その後は郡山市まで行き、市内のホテルに宿泊した。

 

2日目に続く

日本国道最高地点の地、「渋峠」に登ろう!(長野県側編:長野市〜渋峠〜長野市)

2020年9月20日

長野市渋峠長野市   108km

今回は日本にある国道で最も標高の高い地点、渋峠(標高2,172 m)を目指して長野県側から登っていく。ロードバイク愛好者ならば誰もが憧れる地で、最高地点到達というトロフィーのみならず、途中の景色も絶景である(特に群馬県側が絶景なのだが、当時は白根山噴火レベルが高かったため、通行止めとなっていた)。

 

新幹線で長野駅まで行き、自転車を組み立ててから出発した。まずは東へ進み、千曲川を渡って須坂市に入った。長野市近隣であり、アクセスも良いため、人口は5万人と地方都市の中では栄えている方だ。また、群馬県と接しており、県境には2,000m級の山が聳えている。

須坂市街で北に進路を変え、小布施町に入った。長野県で最も面積が小さい町であり、しかも南と北に市があるので、平成の大合併でなぜ消滅しなかったのか、不思議に思っていた町だった。しかし、実際訪れてみると、市街地は江戸時代の気風を残す趣のある店が並び、観光客で賑わっていた(写真は撮り忘れた)。どうやら浮世絵師の葛飾北斎ゆかりの地であり、それを生かしたまちづくりに成功しているようだった。

さらに北上し、中野市に入った。ここも須坂市同様、長野市へのアクセスの良さを生かして人口4万人ほどを確保している。今回は中野市街には入らず、郊外を大回りして再び東へ向かった。この大回りの途中で、渋峠をそのルートに含む、国道292号と合流する。以降、この国道に沿って渋峠を目指す。

しばらく走ると長野盆地に別れを告げ、緩やかな坂となった。そして山ノ内町に入った。以降、渋峠までは山ノ内町内を走ることとなる。

山ノ内町の中心地を少し超えたあたりまでは坂の勾配も5%程度だが、建築物がつき、周囲が森林となると勾配は上がり、進む速度は落ちていった。

坂がキツくなった地点から、標高600m分を一気に登っていった。その後、一旦道が平坦に近くなると、峠の前半部分をクリアしたことになる。このエリアは志賀高原と呼ばれ、多くのスキー場があるリゾート地となる。また、所々温泉が湧くようで、国道の近くにも温泉が湧くスポットを見ることができる。

標高1,700mを超えたあたりから再び坂は急になった。そして次第に周りの木々の背が低くなり、視界が開けていった。この坂は峠の前半部分で疲弊した私の足にとどめを刺したようで、次第に足に力が入らなくなった。仕方ないので、足が悲鳴を上げるたびに自転車を止め、休憩を入れながら進んでいった。

標高1,900m付近からはヘアピンカーブが連続する、九十九折りの道に変化する。そして、ついに標高2,000mを突破した。ただし、その先にはまだまだ上り坂が続くさまが見えた。絶望感に襲われながらも、何度も足を止めつつ、少しづつ登っていった。

標高2,000mを超えるとついに森林が途切れ、笹などで覆われた草原地帯も随所に見られるようになった。これが、渋峠を特徴づける絶景である。なお、この草原地帯は標高による純粋な森林限界ではなく、強風などの気候条件によって形作られたものであるらしい。

洞門をいくつか通過すると、坂の勾配が緩くなり、いよいよ峠の頂上に近づいていく。ここまでくるともう一踏ん張りだ、と最後の力を振り絞った。

そして、ついに渋峠に到達した(ついでに、群馬県境を超え、群馬県中之条町の制覇もできた)。実は渋峠と呼ばれる場所は国道の頂上ではなく、もう少し先に国道最高地点が存在する。

渋峠にはなんとホテルが立っており、ホテル内で長野県と群馬県に分かれている。いつか泊まってみたいものである。このホテルでは犬が飼われており、名物となっている。また、ホテル内で食事をとることもできたので、カレーを食してエネルギーを補給した。

また、渋峠には横手山に向かうリフトも存在する。

しばらくすると、周りが霧に包まれた(というより峠が雲の中に入った)。そのような中、最高地点に向かってリスタートした。とは言ってもほとんど坂とはいえないような平坦な道であり、これまでの道のりからすると楽勝であった。

そして、ついに標高2,172mの日本国道最高地点に到達できた。当地点には石碑が立っており、車やバイクで同じく来訪した旅人が幾人か写真を撮っていた。

しばらく感慨に浸っていたが、すでに午後5時近くになっていたこともあり、あまり長居はできなかった。来た道を引き返し、渋峠に再度到達した頃には霧が晴れていた。

下っていく時には絶景をより堪能する余裕ができ、何度も足を止め、写真を撮りながら進んでいった。

その後は一気に下っていき、途中日が落ちてしまったものの、無事山ノ内市街まで戻ることができた。ちなみに山ノ内市街には渋温泉湯田中温泉という温泉地が連続して存在しており、穴場の観光地となっている。

この後は、最短経路で長野駅まで戻り、輪行にて帰宅した。

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今回の制覇市町村:長野県須坂市小布施町中野市山ノ内町群馬県中之条町

制覇状況:286/1,718

 

ちょっとお出かけアラカルト⑤(茨城編)

2019年12月23日

茨城県土浦市鉾田市石岡市 71km

この回は、茨城中央部にある土浦駅を出発し、東へ向かった。少し上り下りのある道を行きつつ、かすみがうら市に入った。市名はもちろん、日本第二の湖、霞ヶ浦に面していることに由来する。平成の大合併で誕生し、同じ茨城県つくばみらい市とともに日本で最も長い6文字のひらがな市名となっている。

田畑と住宅街がモザイク状に存在する道を行き、霞ヶ浦沿岸に達した。ここから霞ヶ浦大橋を通って湖の狭くなった部分を渡っていく。湖にかかる橋にしてはかなり高さの低い橋である。

1kmちょっとある橋を渡り、行方市(制覇済み)に入った。

湖を渡ると田畑が増えてきた。あまり知られていないが、茨城県は日本有数の農業県であり、さつまいもや水菜などの産地である。

東北に進路をとり、鉾田市に入った。この市も平成の大合併で誕生した。

市が変わっても田畑が大半を占める風景は変わらない。鉾田市茨城県の中でも特に農業が盛んであり、市もさまざまな媒体でそれをアピールしているようである。

鉾田市街に入った。ちなみに鉾田市の中心駅は新鉾田駅であるが、それ以前にあった鉾田駅は、それを用いていた路線が廃止されたため、現存しない。

鉾田市は太平洋にも面している。せっかくなので海まで行ってみた。冬だからだろうか、太平洋は荒々しかった。

その後、鉾田市街に戻り、続いて西へ向かった。途中、小美玉市に入った。小川町、美野里町、玉里村が合併してできた市であり、それぞれの頭文字を一つとって小美玉と名乗っている。今回通ったのは小川、玉里であり、瓦葺きの住宅が集まっていた。

石岡市に入ったが、カントリーサインはなかった。石岡市は土浦と水戸の間にあり、それなりにベッドタウン需要もあるようだ。今回は石岡駅輪行にて帰ることにした。

 

2020年8月14日

東京都豊島区〜茨城県ひたちなか市 127 km

この回は、自宅の東京から茨城北部へ向かって自転車を走らせ、途中の市町村を制覇した。

幾度も通った国道6号に沿って北東に進み、茨城県に入った。そこから取手市、竜ヶ崎市、牛久市と制覇済みの市を再訪した後、少し寄り道をして阿見町に入った。隣の土浦市ベッドタウンとして機能しており、人口も4.8万人と町の中ではトップクラスである。

その後、土浦市かすみがうら市と通り、前回訪れた際にカントリーサインを取り損ねた石岡市に入った。

石岡市を抜け、前回制覇した小美玉市の旧美野里町地域(市役所もここにある)に入った。写真のような中心地には住宅街が形成されていたが、基本的には広々とした田園風景の中を進んでいった。

続いて、まだ行っていなかった茨城町に入った。県の名前を冠しているものの、人口3万人と、県庁所在地の水戸と比べるとだいぶ小規模な町である。

その水戸市茨城町の北隣にある。すでに何回か自転車で訪れたことがある地である。「梅と歴史のまち」という看板があるが、徳川御三家の領地、水戸藩として有名なので歴史というのは分かるが、水戸の特産といえば納豆しか知らず、水戸に梅のイメージはなかった。

水戸市街に近づくにつれて、高い建物が立ち並ぶようになってきた。やはり県庁所在地だけあって、国道は立派な三車線である。

途中、日本三名園の一つである偕楽園の近くにも寄った。偕楽園の周辺には湖があり、自然も多い。また園内にもいつか入りたいものである。

水戸市街を抜け、那珂川を渡り、北上すると那珂市に入った。東隣のひたちなか市と同様、那珂川を市名の由来に持つ。近年は水戸市ひたちなか市ベッドタウンとして人口が増えているようだ。

今回は那珂市の中心地までは行かず、すぐに南へ進路をとり、ひたちなか市へ入った。勝田市那珂湊市の合併によってできた市で、現在は15万人の人口を誇る工業都市として栄え、隣の水戸市と共に茨城県の中核を担う市である。

今回はこのひたちなか市勝田駅で自転車を畳み、帰宅した。

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今回の制覇市町村:茨城県かすみがうら市鉾田市小美玉市石岡市茨城町那珂市

制覇状況:281/1,718

 

日本の鉄道最高地点の地を自転車で走ろう!(山梨県韮崎市〜長野県佐久市〜群馬県富岡市)

2020年6月27日

山梨県韮崎市〜長野県佐久市群馬県富岡市 118 km

今回は1日で山梨→長野→群馬と3県を巡った。いずれも隣県に行くには山越えが必要で、特に今回の山梨→長野間はJRの小海線のルートに沿って行くのだが、日本で最も標高の高い野辺山駅が存在する。そのことからも分かる通り、かなり険しい旅路となる。

韮崎駅を出発して国道141号を北上すると、すぐに北杜市に入った(制覇済み)。

程なく、坂道になってきた。段々状の上りで、坂が緩くなる場所には水田が広がっていた。眼前の山並みがこれからの道の難しさを想起させる。

次第に森林へと入り、坂が険しくなってきた。ここから標高800mから1400m付近まで一気に登っていく。夏の日光が照りつける中、汗水を流しながらなんとか登っていった。

1200mを超えると勾配は緩くなり、清里(旧清里村)の街に入る。

清里は高原にあるだけあって夏も比較的涼しく、避暑を行えるリゾート地として昭和には大人気だった。ただ今でもある程度の観光需要はあるらしく、街を歩く人は多かった。

メルヘンチックな建物もあり、独特の雰囲気を醸し出していた。

清里からはこれまでより緩い坂を登っていき、やがて県境に到達した。ここからは長野県南牧村となる。

標高1,400m付近まで上り、下りとなった。その付近には、日本の鉄道における最高地点もあり、碑も立っていた。

周辺の農作物直売所には先ほどと同じような鉄道最高地点の碑が横向きで置かれていた。古くなったものを撤去し、安置しているのであろう。見てはいけないものを見てしまった気分になった。

農作物だけでなく、乳製品の直売所もあった。この周辺は野辺山高原と呼ばれ、レタスの産地だが、牧畜も盛んであるらしい。この直売所でソフトクリームを買ったが、暑さと疲れで打ちのめされた体に染み渡り、美味しかった。

やがて標高1,346mに存在する日本一標高が高い駅、野辺山駅に着いた。今回はなぜか写真を撮っていなかったので、前回小海線に乗って訪れた時の写真を載せる。やはり観光客需要はあるらしく、駅前には店や宿屋も存在した。

野辺山高原には広大な農地が広がっており、その奥には八ヶ岳の峻険な山並みが聳えていた。

野辺山高原を過ぎると一気に下り坂がキツくなり、曲がりくねった、峠らしい道になる。標高1,050m付近の海ノ口という地に至ると千曲川に行き当たり、そこからは勾配が緩くなる。

海ノ口はまた、南牧村の中心地であり、村役場が存在する。村だけあって、街は非常に小規模だった。

千曲川を下っていき、小海町に入った。小海線の名の由来となった町である。

千曲川を挟んで存在する小海の中心街は、川にかかる橋から見ると大変映えていた。このような山奥の自然豊かな小さい町での生活には憧れるものがある。

清里の建物や野辺山駅もそうだったが、小海駅の駅舎も西欧風だった。ここら辺の八ヶ岳山麓一帯はメルヘンな建物が好きなのだろうか。

小海駅からは千曲川を挟んで国道と並行して走る府道に沿って北上し、佐久穂町に入った。佐久町と八千穂村が合併してできた町で、この二つの自治体を合体させた名前となっている。

佐久穂町も小海町と同じく、山に囲まれた谷にある街という体を成していた。八千穂駅にある案内看板は年季が入っていたが、分かりやすいものであった。看板にあるメルヘン街道の頂上は、国道で2番目に標高の高い、麦草峠である。いつか登ってみたい峠の一つである。

旧佐久町の中心部あたりで住宅街が連続するようになり、そのまま佐久市(制覇済み)に入った。昔は佐久には市と町があり、ややこしいことになっていた。合併が進んだ今でも、まだ釧路など市と町の2つあるような地名は存在する。

佐久市に入ると、佐久盆地に入り一気に視界が開ける。佐久市は10万人近い人口を有しており、主に佐久市役所のある中込と新幹線が止まる佐久平駅のある岩村田を中心として栄えている。また、海から最も遠い市としても有名である。

今回は中込を覗いてみたが、街並みは若干歴史を感じさせるものの、車で渋滞しているようで、盛況ぶりが伺える。

中込からは国道254号に沿って東へ曲がり、群馬との県境越えに挑む。とはいっても標高300m差の道を10kmくらいかけて登るため、坂はだいぶ緩やかである。険しい坂道、峠の多いここら辺のエリアの中ではかなり良心的である。

峠のトンネルを越え、群馬県下仁田町に入ると一気に降っていく。ここら辺は長野側より群馬側の標高が圧倒的に低いため、このような道になるのである。

この後通る下仁田町富岡市はすでに制覇済みであるのでカントリーサインは撮らなかったが、下仁田町の国道沿いにあるアジサイ園が見頃を迎えていたので写真を撮った。なかなかの壮観である。

この後は富岡駅まで行き、輪行にて帰った。

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今回の制覇市町村:長野県南牧村、小海町、佐久穂町

制覇状況:275/1,718