市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

城に咲く桜と自転車乗りの聖地を見に行こう!(長野県長野市〜新潟県長岡市)

2022年4月10日

長野県長野市新潟県長岡市 145km

 

今回は長野駅から信濃川に沿って北東へ走り、その後山越えして新潟県に向かった。

豊野町(現長野市)の中心地を過ぎると信濃川の側まで山が迫ってきた。川沿いの小道を進んでいくと飯山市に入った。

飯山市は長野県最北端の市であり、近年の北陸新幹線延伸によって新幹線停車駅ができ、スキー場や温泉など、豊富な観光資源を生かすことができるようになった。信濃川河岸の狭い平地に市街地が存在する。市街地にある小高い丘に飯山城址が存在する。

飯山からは国道292号に沿って北上し、山の中に入って行った。標高にして250mほど登った後、関川水系に変わり下り坂となった。その下りの途中で新潟県妙高市に入った。長野県と新潟県糸魚川市の境にあるカントリーサインと同じく、新潟県内で復活したトキがイラストとなっている。

妙高市の中心地は新井といい、高田平野の南端に位置するが、市の大半は妙高山をはじめとする巍々たる山地に覆われている。長野県との県境にある妙高高原にスキー場やロッジが点在している。

市街を流れる川のほとりにはちょうど満開の桜並木が遠くに見えていた。このような何気ないところに咲く桜もなかなか風流なものである。

新井市街から少し北上するとすぐに上越市に入った。青看板にも見えるが、市境から少し行ったところに北陸新幹線停車駅の上越妙高駅が存在する。

上越市は人口18万人を誇る新潟県第3の都市であり、昭和期に高田と直江津という二つの市が合併してできた市となる。まずは南に位置する高田市街に入った。どちらかというとこちらが上越市の中心街である。江戸時代の初期に高田城が築かれて以来、城下町として大いに発展してきた。その高田城の桜が綺麗だという話を聞き、今回行ってみた。

高田城の堀の両岸にも桜並木が咲き誇っており、そのはるか背後にはまだ雪を被っている山脈の姿が見えた。

そして堀を渡る橋の向こうには天守閣が聳えていた。屋台が並んでいる区画もあり、非常に多くの人で賑わっていた。城と桜の組み合わせは非常に映えるものであると、この旅で実感した。なお、今回は行かなかったが、この高田周辺の山には春日山城跡もあり、戦国時代の名将、上杉謙信の居城として広く知られている。

高田城を出た後、さらに数km北上して直江津市街に入った。高田あるいは春日山の外港として古来より海上交通の結節点となっており、現在でも関西方面から佐渡島へ行く際に港として使用する。また、陸上においても新潟市長野市富山市三者を繋ぐ交通の要衝である。

さて、この直江津には自転車乗りの聖地がある。それが日本海沿岸に位置する船見公園である。自転車乗りには東京を始めとした太平洋沿岸に位置する地域から日本海沿岸の直江津までの約300kmほどを自転車で走るという風習があり、毎年8月31日の18時にはその荒行を終えた猛者たちが船見公園に集合するのである。公園には人魚の像があり、これが集合場所の目印になっている。多くの自転車乗りの軌跡に思いを馳せつつ、この公園で暫し休憩した。

その後は関川の河口を渡り、高田平野を北東へ走っていく。

頸城、柿崎と平成期に上越市に合併された地を通っていった。新潟県の他の諸市にも共通するが、上越市はなんと13町村を編入して数倍の面積となった。全国でも有数の大合併である。

やがて国道は日本海に沿うようにして走るようになった。ただ、起伏はかなりあり、小高い地点からは鉄路と日本海のコラボレーションを見ることができた。

海沿いの道のまま柏崎市に入った。この市もかなり広い面積を持ち、市境から10kmほど走ってようやく市街に到達した。引き続き起伏が多い道で、途中の地点には日本海、集落、鉄路の3者を眼下に見下ろせる絶景を見ることができた。

柏崎市は人口7万人ほどの地域拠点都市であり、狭い平野に市街地が広がっている。石油会社の大手、エネオスの創業地であり、現在もガス田や原発など、エネルギー産業が盛んとなっている。

その後は内陸の長岡へ向かうために東の山地に入って行った。予期はしていなかったが、峠の頂上付近で刈羽村に入った。村の中心地は遠く離れているが、これはこれで制覇となる。

そして峠を越えて長岡市に入り、長岡駅まで至った。それで今回の旅は終わりとし、輪行にて新幹線で帰宅した。

 

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今回の制覇市町村:

長野県飯山市

新潟県妙高市上越市柏崎市刈羽村

制覇状況:484/1,718

 

市町村再制覇編②(東京都南部、千葉県、神奈川県)

2022年1月9日

東京都豊島区〜多摩市〜豊島区

 

今回もカントリーサインの写真を撮り直すことで再制覇した関東の市町村についてまとめる。

 

自宅から西南に走り、23区域から調布市に入った。20万人以上が居住し、東京人が住まう地として人気である。深大寺など見るべき名所も存在する。

府中市に入った。こちらも25万人ほどの大都市で、旧武蔵国国府が置かれていた地である。市域に競馬場、競艇場の両方が存在する。

国立市に入った。「こくりつ」ではなく「くにたち」と読む。面積が狭いため、人口は東京都では少ない方の7万人ほどである。文系においては国内で二番手を争う位置にある難関大学一橋大学の所在地である。

多摩川を渡って日野市に入った。丘陵地帯を含み、かなり起伏のある地であるが、そこに住宅街が形成されている。面積は東京都の中では広く、人口は20万人近い。

南東へ走り、多摩市に入った。日野市にまして丘陵地帯で覆われており、〇〇丘という地名が多い。多摩川沿岸の狭い平地には京王線聖蹟桜ヶ丘駅というかっこいい名前の駅が存在する。

多摩市の東隣にある稲城市に入った。多摩川の南岸にあり、住宅街も多いが、農業も盛んである。

多摩川を渡って調布市に戻り、ついで調布市の南東にある狛江市に入った。東京都で最も面積が小さい市だが、人口は10万人以上である。

そして23区内に戻り、世田谷区に入った。成城などの高級住宅街を始め、人気の住宅街が多数存在し、東京都の中でも人口が集中している。

この日はこれで終わったが、後日以下のように文京区、台東区に行った。文京区はその名の通り、東京大学を始め大学などの教育機関が集中しているほか、戦前の下町の姿を残している地域(谷根千)がある。台東区は上野や浅草など、日本有数の繁華街を抱えている。

 

2022年1月23日

東京都豊島区〜千葉県印西市

 

この日は自宅を出て東へ進み、千葉県の諸市を再征服した。荒川区墨田区江戸川区葛飾区と23区域を次々と制覇していった。

そして江戸川を渡って千葉県に入り、市川市に入った。人口50万人近い大都市であり、東京のベッドタウンとして大いに栄えている。

そして船橋市を通って白井市、ついで鎌ヶ谷市に入った。ここら辺までが東京都市圏という雰囲気で、ここからは農地も入り混じった昔ながらの家々が並ぶことになる。ちなみに鎌ヶ谷には北海道が本拠地のプロ野球チーム、「北海道日本ハムファイターズ」の二軍が拠点を置く球場がある。

そしてさらに西へ行き、印西市に入った。ここまでくると農地と住宅街の面積が逆転し、水田や畑が広がるようになる。旧印旛村領域には江戸時代の干拓作業の過程で誕生した印旛沼も存在する。

市役所周辺も東京と比べるとなかなか長閑な風景である。

そして市役所周辺に存在する木下駅に到着し、輪行にて帰宅した。

 

後日、再制覇のため足立区に行った。北千住という東京北部随一の繁華街がある一方で、昭和の雰囲気を色濃く残している街が多い。

 

2022年2月26日

東京都豊島区〜神奈川県伊勢原市

 

この日は神奈川方面に向かった。南へ向かい、品川区、大田区に入った。

神奈川県に入り川崎市横浜市を通って、再び東京都に戻って町田市に入った。神奈川県側に突き出たところにあり、神奈川県町田市と揶揄されることもある。実際、神奈川県から東京都に編入されたという経緯がある。

神奈川県に戻り、大和市、ついで座間市に入った。どちらも小田急の沿線であり、東京と鉄道がつながっているおかげで人口も10万人以上と栄えている。

そして神奈川県の中でも比較的存在感の薄い市、綾瀬市に入った。非常に緻密な東京都市圏の鉄道網をくぐり抜け、市中には鉄道駅が一つもない。しかし市街はかなり広々としており、住みやすそうな印象を受けた。

そして海老名市、ついで厚木市に入った。相模川を挟んで隣接している両市も小田急の特急が止まる駅が存在し、東京のベッドタウンとしての地位を築いている。特に海老名は駅南の開発が進んでおり、かなり勢いのある街である。

そして西南に進み、伊勢原市に入った。神奈川の関東平野では最西端に位置し、市域の西側は山地となっている。その麓に市街地が広がっている。

今回は伊勢原駅輪行し、自宅に戻った。

 

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今回の制覇市町村:

東京都世田谷区、文京区、台東区、足立区、荒川区墨田区江戸川区葛飾区、品川区、大田区調布市府中市国立市、日野市、多摩市、稲城市、狛江市、町田市

千葉県市川市白井市鎌ヶ谷市印西市

神奈川県大和市座間市綾瀬市、海老名市、厚木市伊勢原市

制覇状況:479/1,718

 

 

福島の高原都市・田村へ行こう!(福島県郡山市〜大熊町〜郡山市)

2022年2月12日

福島県郡山市大熊町郡山市 108km

福島県は大きく太平洋沿いの「浜通り」、阿武隈川沿いの「中通り」、会津盆地を中心とした「会津」の3地域に分かれるが、その浜通り中通りの中間はなだらかな山地となっており、そこにもいくつかの市町村が存在する。今回はその中でも最大の自治体となる田村市方面へ向かった。

中通り、ひいては福島県最大の都市である郡山を出発し、東へ向かった。程なくするとなだらかな上り坂となり、次第に山間部の景色へと変化した。そして三春町に入った。

昔は田村郡が郡山の東部に鎮座していたが、ほとんどが合併により田村市となり、今は小野町とこの三春町のみが田村郡の一員として生き残っている。江戸期には三春藩の城下町として栄え、今でも郡山市の通勤範囲内として人口2万人近くが居住する。

三春市街を過ぎてしばらくすると少し険しい坂があり、その坂の途中で田村市に入った。カントリーサインの他に、「はつらつ高原都市」と書かれた横長の看板もあった。今までは狭く、曲がりくねった道だったが、この付近は東北らしく、広々した道となっていた。

上り坂が終わり、少し下ると小規模だが開けた盆地に入った。ここが田村市の中心地、船引の街である。田村市は平成期に5町村が合併してできた市であるが、その人口の半分程度が旧船引町地域に集中している。中心部には大規模なショッピングセンター「ふねひきパーク」や真新しい中心駅の船引駅、数軒のチェーン系ロードサイド店舗があり、小規模ではあるが都市の体裁を成している。

地方都市の駅にはたまに見られるが、船引駅の構内には本が敷き詰められている本棚が存在し、ミニ図書館とでもいうべき光景があった。

船引からさらに東へ進み、旧常葉町、旧都路村と駆け抜けていった。ここら辺は完全に山の中という様相で、平地はほとんど見られなかった。しかしこのルートは中通り浜通りを結ぶ最も重要な道であり、田村市があった地は中世には坂上田村麻呂の子孫とされる田村氏が割拠しており、戦国時代に伊達政宗に征服されるまで独立した地域であった。

旧都路村の北側には葛尾(かつらお)村が存在するので、制覇のために一度北側へ曲がり、村境までかなり勾配のある上り坂を登っていった。そして葛尾村に入った。この地点になると標高は600mに達し、雪もかなり残っていた。葛尾村浜通りに属し、ここが中通り浜通りの境界となる。その後は来た道を引き返していった。

元の道に戻り、太平洋を目指して再び西へ向かった。次第に深くなる積雪にタイヤをとられつつ進んでいくと不穏な看板が見えてきた。実は今から向かおうとしている浜通りの中央部(浪江町双葉町大熊町富岡町の領域)には福島第一原発、第二原発があり、原発事故の影響で立ち入りが制限されているのである。

路端には放射能を測る機器があり、原発事故の影響を生々しく伝えている。

その後浪江町方面に行くのをやめ、大熊町方面に向かったが、やはり大熊町に入った途端、係員が立っていて通行規制を行なっていた。自転車はどうしても通れないということで、浜通り北部にある相馬市の方面に向かいたかったのだが、残念ながらここで引き返すこととした。

そしてそのまま来た道をそのままなぞって郡山に戻った。ルートを完遂できなかったのは残念だが、原発事故の脅威を肌で実感できたのは収穫だった。また自転車で通れるようになったら再チャレンジしようと思った。

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今回の制覇市町村:

福島県三春町、田村市葛尾村大熊町

 

制覇状況:461/1,718

 



 

 

雪積もる滋賀の大動脈を辿ろう!(京都府京都市〜滋賀県米原市)

2022年1月3日

京都府京都市滋賀県米原市 73km

この日は帰省していた京都から東京へ帰る際、通り道の一部であった滋賀を自転車で走ったものである。

 

京都から2つの山を越え、滋賀県大津市に入った。大津は古来より琵琶湖に面する港町として栄え、大化の改新を成した天智天皇の時代には日本の首都であった、伝統ある地である。ただ現在は県庁所在地であるものの京都に近すぎるせいでそのベッドタウンとしての役割が大きくなっており、県内においても隣の草津市の勢いに押されている感は否めない。

大津市街の琵琶湖岸は公園となっており、その遊歩道を自転車で通っていくと、やがて大きな橋が見えてきた。

これが琵琶湖最南端の湖上を跨ぐ近江大橋である。全長1km超の長い橋で、大津から草津東への道のりをショートカット可能な橋となる。橋上からは漫々と水をたたえる琵琶湖を全方位見渡すことができた。ただ、これでも琵琶湖全体から見るとくびれにあたる細長い部分に過ぎず、いかに琵琶湖が広いか逆に実感した。

湖を渡って瀬田の地を抜けると草津に入った。近年京阪神都市圏のベッドタウンとして成長著しい街である。ここまでは東海道を辿って自転車で帰省した時に通った地であり、ここから東海道(現国道1号)から北陸や岐阜方面に通ずる国道8号が分岐する。今後は未踏であった国道8号方面へ向かっていく。

栗東、ついで守山市に入った。栗東市は平成期、守山市は昭和期に単独で町→市になった自治体で、このことからも分かる通り、両市共に現在も人口増加を続ける勢いのある街である。人口増加、街の発展という観点からは実は滋賀のこの一帯が近畿地方で今、一番波に乗っているのではという印象を抱く。

続いて野洲川を渡り、野洲市に入った。野洲市も京都、大阪への通勤圏内で、人口は微増している。ここら辺は三上山が近江平野部に迫り出しており、国道8号のすぐそばに山が迫っている。

そして勾配の緩い坂が連続するようになり、竜王町へ入った。ただ、国道から竜王の中心街までは5km以上離れており、ほんの少し通過すると近江八幡市に入った。

竜王と同じく、近江八幡市も方角は逆だが中心街は国道から北側へ離れている。人口8万人を有する市で、江戸期には商業の町として大いに栄え、現在でもその街並みが保存されている地区が存在する。国道から現在の中心街は田んぼの先に見ることができた。

東近江市に入った。平成期に内陸部の四日市市が琵琶湖に面する能登川町を始めとする周辺の町を合併してでき、人口は10万人を擁する。ただ、ここまでくると京阪神都市圏からはだいぶ離れてきており、人口は微減状態である。ここらへんで雪が積もっている場所が出始めた。意外かもしれないが、滋賀の東部はかなりの豪雪地帯である。それはこの後の旅路からも体感することができた。

東近江市の旧能登川町域を走り抜け、愛知川を越えて愛荘町、ついで豊郷町に入った。ここまでくると田んぼの割合がかなり増え、その中に昔ながらの集落が点在する景観になっていく。

そして彦根市に入った。暗いと少し手を揺らしただけででカントリーサインの文字が見えなくなるくらい、写真がぶれてしまう。

彦根市に入るとますます積雪の量が増えていった。滋賀の中でも特に彦根は近くの伊吹山から雪雲が降りてくることが多く、中心街でも年1、2回50cm以上の大雪が降ってくる。偶然今日はそのような日の直後に訪れたということである。近畿の市街地でこのような積雪量になるのは他に京都府北部、兵庫県北部くらいのものだろう。

彦根市街にも大量の雪が積もっていた。夜の光も相まってなかなか幻想的な風景である。彦根市は人口11万人が居住し、滋賀東部の中心的都市となっている。

そして、彦根といえばなんといっても彦根城である。幕末の大老井伊直弼を始めとして譜代大名として江戸幕府を支え続けてきた井伊氏の居城であり、元祖ゆるキャラともいえる「ひこにゃん」のデザインのもとにもなったため、かなり有名な城である。現在の彦根市街の西側、琵琶湖に近い位置にある。本来は日中に行きたかったが、明かりに照らされる彦根城もなかなかいいものであった。

そして米原市に入った。あいにく米原市カントリーサインは見当たらなかったが、彦根市の看板は再度、手ぶれの少ない写真を撮ることができた。

そして北陸本線東海道本線の結節点、米原駅まで行って今回の旅は終わりとした。

 

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今回の制覇市町村:

滋賀県守山市野洲市竜王町近江八幡市東近江市愛荘町豊郷町彦根市

 

制覇状況:457/1,718

 

 

忍者の里・伊賀を越えて奈良へ行こう!(三重県亀山市〜奈良県大和郡山市)

2021年12月31日

三重県亀山市奈良県大和郡山市 102km

今回は京都への帰省のついでに、中京圏の亀山から伊賀を越えて関西圏の奈良へ抜ける道を走った。

伊勢平野の西端に位置する亀山市の中心駅、亀山駅から出発した。旧宿場町の関で東海道から分岐して西へ進み、山を越えていく。新道となるいわゆる名阪国道は自転車では通れないので、旧道の狭く、見通しの悪い峠を越えていった。

やがて伊賀市に入り、伊勢平野側より緩い坂を少し下っていった。峠のすぐそばには綺麗な池があり、自然の豊かさを感じられる。

次第に視界が開け、伊賀盆地(上野盆地)に入った。この盆地においては稲作が盛んで、かなりの面積が田んぼに覆われている。また、盆地の中でも起伏に富んだ地形であり、ここで多数の忍者勢力が割拠していたのも納得である。また、伊賀市は平成期の途中までは6市町村に分かれており、現在でも旧市町村ごとにそれぞれ独自性が高い。

そんな中でも中心的存在を占めるのが旧上野市であり、その市街に入った。平成期の合併により、伊賀市は10万人を越える人口を誇ったが、その後減少して再び10万人を割ってしまい、相対的に勢いを保っている南隣の名張市の人口に近づいていっている。それでも市街には一定の活気が見られた。

そんな伊賀市が推しているのがやはり「忍者の里」というブランドで、伊賀市の実質的な中心駅である上野市駅前ではこれでもかというくらいに忍者をアピールしている。というか駅舎からして「忍者市駅」と名乗っている。さすがに正式名称ではないが、愛称として親しまれているようだ。

駅前の通りもかなり雰囲気のある造りとなっている。大晦日だからか、人気があまりないのが残念である。上野市街には忍者屋敷含む忍者博物館や伊賀上野城など、数多くの観光資源があり、普段は外国人を含む観光客で賑わっているようである。

上野市街からは南下していった。次第に山がちとなり、起伏のある道を走っていった。そして長かった伊賀市が終わり、名張市に入った。

伊賀地方、すなわち旧伊賀国伊賀市名張市の2自治体のみで構成されているが、伊賀市の方が圧倒的に面積が大きい。しかし人口ならば名張市も負けておらず、8万人近く住んでいる。一応東海地方であるが、近鉄大阪線が通っていることから大阪を始め関西と繋がりが深く、実質関西圏に属するといっても良い。また、ベッドタウンとして発展してきており、山を切り開いた団地が多い。何とも特殊な立ち位置の市である。

名張からは西南に川沿いを遡っていき、奈良県宇陀市に入った。

宇陀市は平成期に4つの町村が合併してできた市で、まずは室生寺で有名な旧室生村を通過していった。山間を縫う宇陀川に沿って緩い上り坂を延々と登っていった。

ついで、宇陀市役所があり、宇陀市の中心的存在となっている旧榛原町に入った。中心街はなかなか古めかしく、奈良の中心部である大和盆地の新興住宅街とは様相が異なる。ただ、このような個性的な景観こそが地方都市の魅力であると私は思う。また、ここの標高は400mと高く、かなり寒かった。榛原だけでなく宇陀市全体がこのような山間、高原地帯に位置する。

その後はさらに少し上った後、峠を越えてかなり急な下りに転じた。その途中で桜井市に入った。その後も急勾配の下り坂は続き、それが終わる頃には大和盆地に入っていた。

程なく桜井市街に入った。桜井市街はいかにも大阪、京都のベッドタウンという感じで綺麗な一軒家やマンションが立ち並び、人通りも多かった。一方で桜井市は他の奈良の諸市町村と同じく史跡が豊富で、卑弥呼の住処の候補として知られる纏向遺跡や、日本開闢時から存在する大神神社三輪明神)、その大神神社が鎮座し、万葉集の和歌にも登場する三輪山など、日本黎明期の遺風を偲ばせる地が多く存在する。

その後、天理市に入った。天理市街には以前行ったことのあるため、今回は素通りしたが、天理教の総本山というだけあって他の日本の街には見られない、なかなか異世界感のある景観となっている。なお、天理教は江戸時代末期からの宗教であり、誕生してからかなり月日を経ている。

その天理市には石上という地名があるが、これは古代日本で大いに権勢を振るった豪族の物部氏飛鳥時代から本拠地としていた地で、そのために物部氏は石上氏と呼ばれるようになった。石上氏からは竹取物語に出てくる登場人物のモデルとなった石上麻呂や、文人として名を馳せた石上宅嗣を輩出した。

そして大和郡山市に入り、中心駅の近鉄郡山駅まで行って今回の自転車旅は終わりとした。

 

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今回の制覇市町村:

三重県伊賀市名張市

奈良県宇陀市桜井市天理市

 

制覇状況:449/1,718

 

 

市町村再制覇編①(栃木・群馬・埼玉周遊、東京都23区&市域)

今回は新コーナーということで、再制覇した市町村を紹介する。再制覇とはどういうことかというと、私が大学進学を機に東京へ移住してから、大学3年時にガラケーからスマホに変えて写真データが全てなくなるまでに自転車で訪れた東京近郊の都市に関して、後日再訪して再度カントリーサインを写真に収め、制覇としたものである。(カントリーサインの写真がないと制覇扱いとならないため)

正直一度訪れている上に、特徴のないベッドタウンが多いため、風景の写真は少なくカントリーサインの写真が並ぶこととなるが、ご承知おきいただきたい。

 

2021年12月5日

栃木県佐野市〜埼玉県上尾市

 

この日は大学2年生になる春に友達と一緒に自転車で関東全県周遊を行った際訪れた栃木、群馬、埼玉の市町村を歴訪した。

まずは栃木県の佐野市足利市である。どちらも栃木県最南部に位置し、県庁所在地の宇都宮市よりも東京都や埼玉県との関係性が深く、これらのベッドタウンという位置付けである。

続いて群馬県に入り、太田市、伊勢崎市に入った。これらも東武伊勢崎線を通じて東京と繋がっているベッドタウンであるとともに、北関東有数の工業都市となっている。

そして利根川を渡り埼玉県本庄市に入り、以降は高崎線に沿って東京方面へ向かった。

続く深谷市熊谷市はいずれも人口10万人を超えているが農業も盛んで、深谷市深谷ネギという有名ブランドが栽培されている。

その次の行田市高崎線行田駅があり、この日走っていた国道もその近くを通るが、市役所のある中心地はそこからかなり離れている。

ここまでは田園地帯が時折広がっていたのだが、鴻巣市の途中から住宅街に入り、以降は建物が途切れることなく東京まで続くことになる。鴻巣市は合併により10万人を超えたが、その後の北本市桶川市は人口10万人未満の首都圏にしては小さな市である。

そしてさいたま市の北隣となる上尾市に入った。この後も走り続け、東京まで自走で帰宅した。

 

2021年12月18日

東京都豊島区〜東京都武蔵村山市〜東京都豊島区

 

この日は自宅から東京都西部へ漕ぎ出し、再び自宅に帰った。

出発後はビル立ち並ぶ渋谷区、延々と住宅街が続く杉並区を経由して23区外の武蔵野市に入った。この市も基本住宅街だが、南端には繁華街である吉祥寺が存在する。

さらに西行し、小金井市に入った。ここから中央線の少し北側をずっと走り、小平市国分寺市と何の変哲もないベッドタウンを通り過ぎていった。

この次の立川市立川駅で複数の鉄道路線が交差し、駅前は東京都西部屈指の繁華街となっている。また、その西の昭島市も、北西端に大きな乗り換え駅である拝島駅を有する。しかしやはり市の大半は住宅街である。

その後は北に行って武蔵村山市、そこから東に引き返して東大和市東村山市と埼玉県と境を接する都市を過ぎた。ここら辺の市は影が薄い上に名前もややこしく、東京都民でも覚えている者は少ないかもしれない。

そして埼玉県側に半島のように突き出ている小市、清瀬市を通過した後、南東へ行き東久留米市、東京都としては珍しく平成期に新しくできた西東京市、そして練馬区を通って豊島区に帰った。みな東京都市圏の典型的なベッドタウンといった街並みであった。

 

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今回の制覇市町村:

栃木県佐野市足利市

群馬県太田市、伊勢崎市

埼玉県本庄市深谷市熊谷市行田市鴻巣市北本市桶川市

東京都武蔵野市小金井市小平市国分寺市立川市昭島市武蔵村山市東大和市東村山市清瀬市東久留米市西東京市

 

制覇状況:444/1,718

 

 

 

山形、秋田で歴史、将棋、景観に触れ合おう②!(福島県福島市〜山形県山形市〜秋田県横手市)

2日目

山形県天童市秋田県横手市 120km

2日目は宿泊した天童市からスタートし、さらに北へ向かった。

程なくして東根市に入った。山形県はオウトウ(さくらんぼ)の生産量が全国一であることで有名だが、その中でも東根市は最もさくらんぼを生産する市町村となる。カントリーサインにある通り、ゆるキャラさくらんぼをモチーフにしているほか、市内にある新幹線駅は「さくらんぼ東根駅」という名称である。

東根駅もかなりさくらんぼをアピールしている。山形市の近くにあるためか、人口は5万人弱と山形県の中では人口が多い市である。

さらに北上し、村山市に入った。この辺りは横長の領域の市が多く、市境と市境の間の距離は短い。

「村山」というのは山形盆地を中心とした領域の地域名であり、村山市の中心地は元々楯岡という名前だった。面積は東根と同じくらいだが、人口は2万人程度と1/2以下である。それでも楯岡には商業施設や住宅が集まっており、市の体裁を成している。

山形県を縦断する大川、最上川村山市街で2回屈曲しており、水運が盛んだったことに難所だった箇所が三つある。

村山市の北部は今までと一転して田んぼが広がる風景となった。途中、国道から府道に移り、最上川が姿を現した。そのまま最上川に沿って進むといつの間にか大石田町に入っていた。

そのまま大石田市街に入った。大石田最上川沿いにあり、水運の拠点として栄えてきた。市街はかなり古い街並みとなっているが、大石田駅は新幹線が止まるのもあってか、新しい駅舎だった。

ここから最上川を離れて東へ向かい、尾花沢市に入った。大石田町カントリーサインも撮れた。

ここから少し坂を登って尾花沢市街に入った。人口は1万3千人と市の中ではかなり少ない。市内に駅はないが、隣町の大石田町の駅からは4kmしか離れていない。牛肉とスイカが名物なほか、銀山温泉というかなり風情のある温泉街を有する地もある。

ここからは国道13号線に復帰し、北西へ進んでいった。

舟形町に入った。名前の通り、最上川の水運で栄えた町である。写真は撮れなかったが、市街は最上川の支流沿いの谷地に位置しており、舟形町全体でも起伏がある道であった。

再び北上し、新庄市に入った。山形県東北部の最上地方における中心都市である。

また、中心駅の新庄駅山形新幹線の終点でもある。

駅には最上地域の観光地図が大きく張り出されていた。市町村ごとに個性を強調した紹介をしており、観光客の招致に力を入れていることがよくわかる。

新庄は歴史の街として押し出しているらしい。江戸時代には新庄藩の城下町となるとともに宿場町として大いに栄えた。現在でも庄内地方酒田市鶴岡市)、秋田県宮城県山形市の四方に通ずる交通の要衝である。藩主だった戸沢氏の墓所も市街にあるようだ。

ここからさらに北上し、秋田県へ向かっていく。新庄盆地の市街地、ついで田園地帯を抜けた後、県境まで続く山地に入った。

早速小規模な坂をのぼり、金山町となった。

市町境からは新庄盆地の田園地帯を見下ろすことができた。

一旦坂を下り、金山の街を含む平地に入った。金山は林業で栄えたほか、宿場町としても重要な役割を担った。

ここから本格的に山の中に入り、標高にして200mほど登った。やっと峠の頂上に至り、トンネルを抜けたがまだ県境ではなく、真室川町へ入った。町章がシンプルで逆に面白い。

一旦坂を下るが、町の中心部に至るわけではなく、谷間の小集落を経て再び坂を登っていく。そしてついに県境のトンネル、雄勝トンネルに至った。1km余りのトンネルを進んでいき、秋田県に入った。私史上、初の秋田県である。

トンネルを越えるとカントリーサインがあった。秋田県境のカントリーサインはこのように、青い背景に白文字、イラスト付きの構造となっている。秋田県最南端の自治体、湯沢市世界三大美女として人口に膾炙している「小野小町」生誕の街としてアピールしているらしく、イラストもそれを反映している。

峠を下っていくと想像もしなかったのぼりが立っていた。「おつかれさまでした!菅義偉先生」と書かれた文字は、この地(湯沢市雄勝町)が第99代内閣総理大臣菅義偉の出身地であることを如実に現している。こんな辺境の地から日本の宰相が生まれるとは、なんとも夢のある話である。

坂を下りきって盆地に入り、やがて雄勝市街に至った。地方によくある田舎町であるが、小野小町の生誕地とされることを生かし、小町の郷公園なるものがあった。小野小町の像や、所縁の神社を模した建物があった。ちなみに秋田県の米といえば「あきたこまち」という品種だが、無論小野小町が由来である。

この後、秋田県随一の大河、雄物川の上流に沿って北へ下り、湯沢市街に入った。平成の大合併により秋田県でも屈指の面積を有するようになったが、人口は4万人近くとそこまで多くはない。秋田の他の市町村にも言えることだが、かなり人口減少率が大きいという厳しい現実がある。

それでも市名に表れているように温泉地が多いほか、山深き景勝地城址がいくつかあり、観光地としての町おこしには成功しているようである。また、日本三大うどんの一角、稲庭うどんは湯沢の地が発祥となる。

雄物川の支流、皆瀬川を渡って横手市に入った。この市も平成期に7町村と合併して面積が激増したとともに、人口が10万人を上回ったが、その後の人口減少で現在は8万人ほどの人が住んでいる。まずは旧十文字町の領域に入っていく。

十文字市街には道の駅があり、天気がいいこともあるのか、かなり賑わっていた。地方の町においても道の駅は特に人が集まっており、地域振興の一つの解が示されている。ちなみに十文字は十文字ラーメンが有名であるようだ。

そして横手市街に入った。まだ日は高いが、疲れ切っていたこともあり、今回は横手駅でおしまいとし、輪行にて東京へ帰った。今回は初めて秋田県へ足を踏み入れることができたとともに、天候に恵まれ、かなり満足感のある爽快な旅となった。

 

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今回の制覇市町村:

山形県米沢市高畠町南陽市山形市天童市東根市村山市大石田町尾花沢市舟形町新庄市、金山町、真室川町

秋田県湯沢市横手市

 

制覇状況:422/1,718