市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

十和田湖と奥入瀬渓流を目指して東北を北上しよう!③(岩手県一関市〜青森県十和田市〜岩手県二戸市)

3日目

青森県十和田市〜八戸市〜岩手県二戸市 82km

3日目は十和田市街の周遊から始めた。十和田市は内陸に位置しており、鉄道は通っていない。しかし人口は5万人と地方都市にしては多く、市街地もかなり大規模である。しかもかなり綺麗に整備されており、特に官庁街通りや十和田市現代美術館は独特の存在感を放っている。

今日は青森県内の市町村をある程度制覇したいということで、まずは北東方面の三沢市へ向かった。途中、六戸町の北辺を通過した。メイプルタウン、すなわちカエデの街として推されているようである。

ここら辺はひたすら農地が広がっていた。写真はおそらくタマネギ畑であろう。

続いて、おいらせ町に入った。こちらも北辺を一瞬通過する形である。名前の通り、奥入瀬渓流から流れ出ている奥入瀬川の河口に位置する町である。

そして、今日第一の目的地、三沢市に入った。市境から程なくして三沢市街および三沢駅に到達した。

三沢市といえば大規模なアメリカ軍基地が存在する街で、街の至る所に英語の看板および店が並んでいる。軍基地の側には三沢空港があり、民間利用も可能である。

続いて南に方向を変え、八戸市を目指した。途中、再びおいらせ町に入る際、通常バージョンの三沢市のカントリーサインも見ることができた。

平原をひたすら進み、八戸市に入った。市章が示す通り、港町として発展してきた街であり、今でも漁港、工業港としての側面があるほか、北海道行きのフェリーも出ている。

高速道路のインターを過ぎてしばらくすると鉄道の高架、さらにその先に八戸市街が見えてきた。八戸は現状青森第二の都市で、人口は20万人ほどである。

八戸市には新幹線停車駅でもある八戸駅があるが、実は中心街はそこから約4kmほど離れている。その中心街に最も近いのがJRの八戸線の本八戸駅であり、実質的な中心駅としてその威容を保っている。

本八戸駅構内には方言の解説や世界遺産登録をアピールする観光マップなど、なかなか個性的な景観をしていた。

また、駅の周辺もかなり色々な店があり、歩行者天国で人も数多く歩いており、非常に栄えているようであった。周辺に大都市がない地方都市としては珍しい光景である。

また、八戸には城下町としての側面もあり、市街の端に八戸城址が存在する。

長く滞在してきた八戸市を抜け、南部町に入った。名前の通り、北東北最強の戦国大名であった南部氏のゆかりの地である。

馬淵川の狭い平地を南西に進んでいき、三戸町に入った。

疲労が極度に達していたからか、三戸市街の写真は撮っていなかったが、元々城下町であったこともあり、かなり味のある風景であった記憶がある。三戸城は先ほど言及した南部氏が戦国時代後期に本拠を構えていた地である。

三戸市街から岩手県境まで、国道4号線は山を迂回して通ることになるが、山を突っ切って最短距離で南下する道があったので、そこを登って行った。

途中、青森の象徴とも言えるリンゴの畑を見ることができた。折よく、ちょうど開花していた。リンゴは桜と近縁であり、かなり桜に近い花を咲かせる植物である。

旅の終盤にしては非常にきつい坂を越え、下った先で国道と合流し、上流域に差し掛かって折れ曲がりながら流れている馬淵川を青岩大橋で渡ると岩手県、そして二戸市に入った。

二戸市の北方には金田一温泉という温泉地が存在しており、二戸随一の観光スポットである。

そして二戸市街に入った。二戸市は人口2万人程度と小規模な市ながら、岩手県北の中心都市となっており、新幹線駅も存在する。中心市街は馬淵川を中心とした細く狭い平地を縫うようにして存在する。

二戸市街にも城が存在しているが、その名前は二戸城ではなく、なぜか九戸城である。これは、現在の九戸村付近に端を発する南部氏の一族、九戸氏が二戸に進出して城を築いたことに起因する。九戸城跡では「九戸政実」と書かれた幟が翻っているが、彼は戦国時代の最後に豊臣秀吉に逆らった最後の武将として知られ、最終的には滅ぼされたが(九戸の乱)、その反骨心が評価されているのか、九戸城跡ではかなり推されていると見える。

そして二戸駅に到着した。新幹線も止まるということもあり、街の規模に比して立派な駅舎である。本来はもう少し南下したい所だったが、疲労でかなり時間をかけてここまで到着したため、今回の旅はここで終了として、二戸駅から新幹線で帰宅した。

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今回の制覇市町村:

岩手県平泉町、奥州市、金ヶ崎町、北上市、花巻市、紫波町、矢巾町、盛岡市、滝沢市、八幡平市、二戸市

秋田県鹿角市、小坂町

青森県十和田市、六戸町、おいらせ町、三沢市、八戸市、南部町、三戸町

制覇状況:504/1,718

 

 

十和田湖と奥入瀬渓流を目指して東北を北上しよう!②(岩手県一関市〜青森県十和田市〜岩手県二戸市)

前回の続き

2日目(4月29日)

岩手県八幡平市〜秋田県鹿角市〜青森県十和田市 126km

吹雪の夜から一夜明け、宿泊地の赤坂田駅付近にはうっすらと雪が積もっていた。さすがに東北の山間地といえ、4月末に雪が積もることは滅多にないであろう。桜の花と雪が同居する貴重な景色を見ることができた。

実は昨日の時点で八幡平市に入っており、中心地の大更から鉄道で赤坂田駅前の宿まで行っていたため、朝から鉄道に乗って大更に帰ることにした。八幡平市は平成期に2町1村が合併してできた市であり、大更は旧西根町に属する。人口2万人の小さな市である。

八幡平市は奥羽山脈の東麓に位置しており、市名の由来となった八幡平のほか、岩手山も近くにある。この日は晴れていたため、岩手山の山頂を望むことができた。岩手山は富士山にも似た綺麗な稜線をしており、春は山頂に雪が積もっているため、より美しい風景を撮ることができる。

その後、山間の道を北へ進んでいき、安比高原付近で小さい峠を越えてから坂を下り、荒屋新町で西へと進路を変えた。このような山間の小さな街にもスーパーがあるのは驚きである。

そして下り基調の道の途中で秋田県の鹿角市に入った。昨日撮り損ねた八幡平市のカントリーサインも撮ることができた。秋田県の青のカントリーサインと、岩手県の白のカントリーサインの対比が美しい。

秋田県に入ってすぐの場所に湯瀬温泉が位置している。5軒程度の温泉宿が集まっている、こぢんまりとした温泉街となっている。

米代川沿いに北上していくと、広い盆地(花輪盆地)に入った。米どころらしく、田植え前の田んぼが広がっていた。

ここで道の駅かづので休憩した。道の駅の記載によると、どうやら鹿角は秋田の郷土料理、きりたんぽの発祥地らしい。なお、鹿角市の尾去沢には昔鉱山があったが、今は廃されて観光地化されている。

かなり腹が減っていたので、道の駅で日本三大うどんの一つである稲庭うどん、きりたんぽ棒、銘菓など秋田名物を食べまくった。特に黄金花、錦木ロマンという鹿角銘菓二つの甘い味は疲れた体に沁みた。

鹿角市の中心地は花輪といい、鹿角花輪駅が存在する。カントリーサインにもなっているが、どうやら花輪ばやしというものが有名らしい。また、あまり知られていないが鹿角市には世界遺産が存在しており、大湯環状列石という。三内丸山遺跡が飛び抜けて有名な「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成遺産の一つである。実際に行ってみたが、なかなか異様な雰囲気であった。

ここからは十和田湖に向けて標高600mほどの峠、発荷峠を登っていった。途中、国道沿いにあった謎の滝を見つつ、基本的には緩い勾配を登り、発荷峠を越え、小坂町に入った。

そして、発荷峠といえば、峠付近の展望台から見える十和田湖である。話に聞いていたとはいえ、実際に見るとなかなかに壮観である。十和田湖は青森県と秋田県の境に位置する湖で、山中に存在するためその透明度や深さは日本全国でも随一である。

その後坂を降り、清澄な空気を吸いながら十和田湖畔を反時計回りに走っていった。途中、青森県の十和田市に入った。


そしてこの旅最大の目的地、奥入瀬渓流に入っていった。奥入瀬渓流は十和田湖から流れ出した川が形作った渓谷であり、青森県の中でも非常に人気な景勝地である。この季節はちょうど新緑が芽生え始めており、特に美しい景色を見ることができた。

また奥入瀬渓谷には数多くの滝があり、風景に華やかさを添えていた。

標高が低くなっていくにしたがって新緑の密度は増していき、季節の移り変わりを擬似体験することができた。

この後は15kmほど東へ走っていき、宿に着いた。宿では山菜の天ぷらなど、美味しい食事をいただくことができた。

3日目へ続く

十和田湖と奥入瀬渓流を目指して東北を北上しよう!①(岩手県一関市〜青森県十和田市〜岩手県二戸市)

2022年4月28日〜30日

岩手県一関市〜秋田県鹿角市〜青森県十和田市〜岩手県二戸市 342km

前々回の東北訪問(2020年)では茨城県から福島県、宮城県と北上し、岩手県の入口である一関市まで到達した。今回はその一関市から自転車に乗ってさらに北上し、岩手県、秋田県を通った後にメイン目的である十和田湖と奥入瀬渓流の景観を楽しみ、その後青森県の諸市町村を制覇した。

 

1日目 

岩手県一関市〜岩手県八幡平市 139km

一ノ関駅で自転車を組み立て、旅をスタートさせた。走り始めて3kmほどで早くも最初の市町村、平泉町に入った。

平泉町は平安末期に奥州藤原氏の本拠地があった場所であり、中尊寺金色堂や毛越寺など、数多くの世界遺産が存在する。だが、前に平泉を鉄道で訪問した際ガッツリ観光した上、時間もないので今回は毛越寺の入口を見るのみで、泣く泣くスルーした。

しかし、中心街を通過するのみでも、歴史ある建物が数多く立っており、平泉の歴史の長さを感じることができた。

続いて奥州市に入った。平成期に水沢市と江刺市含む5市町村の合併により、一気に岩手県第二の都市に成り上がり、人口は10万人を超える。中心地は水沢となり、今回も水沢を通ることになる。

やがて水沢市街にたどり着いた。実は水沢は、今や世界で最も有名な日本人といっても過言ではない、「大谷翔平」の出身地である。投手と野手の「二刀流」を行う野球選手であり、メジャーで前人未到の記録を次々と打ち立てる日本が誇る英雄も、この街で生まれ育ったのである。駅前にも大谷を応援する看板が掲げられていた。

水沢は地方都市としては珍しく駅付近に大型商業施設があり、地域の中心都市としての威容を保ち続けているようである。

また、水沢は城下町だった歴史もあり、そのまま残っている武家屋敷等も存在する。

水沢市街を抜けてしばらくすると胆沢(いさわ)城という史跡を見ることができた。平安時代に北方異民族、蝦夷との戦いのため建設された城であり、その後は長年統治の拠点として用いられてきた。さすがに当時そのままの遺構はほとんど残ってないが、胆沢城を再現された建造物が建てられていた。

胆沢川を渡り、金ヶ崎町に入った。岩手県最大級の工業団地を有しており、それを背景にした経済力があったからなのか、周辺市による合併を免れることができた。

続いて北上市に入った。この市も人口9万人と地方都市としては大きい方であり、さらに工業や商業の繁栄により地方都市としては珍しく発展を続けている都市である。この辺の市町村に共通する特徴だが、北上市は東西方向に長く、南北方向に短い市域を持っており、比較的短期間で走り抜けることができた。

花巻市に入った。この地域は10万人規模の市が多く、花巻市も9万人近い人口を擁する。また、岩手県の空の玄関口となる花巻空港が存在する。

花巻市に入ってほどなく、花巻市街が見えてきた。

花巻駅付近にも店舗や銀行がある程度存在し、その規模の大きさが伺える。

さて、花巻市といえば、花巻東高校である。野球ファンには有名なこの高校は甲子園に幾度も出場している名門校であり、大谷翔平、菊池雄星をはじめとしたプロ野球選手を多数輩出している。今回、実際に花巻東高校に寄り道してみたが、大谷翔平、菊池雄星の活躍を讃える横断幕が校舎に掲げられていた。隣に東大合格者の名前が並列されているのがどこか面白みを感じる。

花巻市街を出ると広大な農地が広がっていった。遮るものがないため、強烈な逆風に悩まされながら北上していき、紫波町に入った。紫波町は盛岡市、花巻市のちょうど中間に存在し、人口3万人も存在するからなのか、地方の町としては珍しくチェーンファミレス店が存在していた。

続いて矢巾町に入った。隣接する盛岡市のベッドタウンとして今も発展し続けている町である。ちなみに、この時走っていた国道4号線は郊外も含めて四車線の区間が多く、東北の広大さをここでも感じることができる。

そして、ついに岩手県の県庁所在地である盛岡市に入った。この辺りでポツポツと雨が降り始めた。雨が強くならないことを祈りながらひたすら北上していった。

願い虚しく、盛岡市街に入る頃には本降りとなってしまった。盛岡市は県庁所在地ではあるが、人口30万人を割っており、県庁所在地としては小規模である。しかし、駅前から繁華街に至るエリアはかなりの繁盛ぶりで、人もたくさん歩いている。また、盛岡市は城下町として発展した地であり、市街には盛岡城址が存在する。

なおも盛岡市街を走っていたが、ますます雨が強くなり、体も冷えてきたので早めに夕食を取ることにした。本来は盛岡冷麺を食べたかったのだが、冷たい食べ物なので避け、体があったまりそうな盛岡温麺を食べた。麺は冷麺と同じだが、温かいスープに麺が入っており、今まで食べたことがない独特な味でなかなか美味しかった。

盛岡市街から次第に上り坂となり、建物もまばらとなった頃に滝沢市に入った。この街も盛岡のベッドタウンとして繁栄しており、人口も5万人を超えたため、平成末期に村から町を飛び越えて一気に市に昇格した。今回はいろいろ余裕がなかったため市街地は訪れず、山の中の国道をひたすら走っていった。

ほどなく国道4号に別れを告げ、国道282号に入った。上り基調の道を走っているとなんと雨が雪に変わってきた。4月下旬にも関わらずである。さすが東北といったところであるが当時の私は限界ギリギリであり、ひたすら無心でペダルを漕いでいた。途中、スピードを出していた対向車に危うくぶつかりそうになりながらも走っていき、陽がすっかり落ちた7時半ごろに八幡平市の中心地、大更に着くことができた。さすがに天候が天候なので、ここから宿までは輪行にて行くことにした。

 

2日目に続く

城に咲く桜と自転車乗りの聖地を見に行こう!(長野県長野市〜新潟県長岡市)

2022年4月10日

長野県長野市新潟県長岡市 145km

 

今回は長野駅から信濃川に沿って北東へ走り、その後山越えして新潟県に向かった。

豊野町(現長野市)の中心地を過ぎると信濃川の側まで山が迫ってきた。川沿いの小道を進んでいくと飯山市に入った。

飯山市は長野県最北端の市であり、近年の北陸新幹線延伸によって新幹線停車駅ができ、スキー場や温泉など、豊富な観光資源を生かすことができるようになった。信濃川河岸の狭い平地に市街地が存在する。市街地にある小高い丘に飯山城址が存在する。

飯山からは国道292号に沿って北上し、山の中に入って行った。標高にして250mほど登った後、関川水系に変わり下り坂となった。その下りの途中で新潟県妙高市に入った。長野県と新潟県糸魚川市の境にあるカントリーサインと同じく、新潟県内で復活したトキがイラストとなっている。

妙高市の中心地は新井といい、高田平野の南端に位置するが、市の大半は妙高山をはじめとする巍々たる山地に覆われている。長野県との県境にある妙高高原にスキー場やロッジが点在している。

市街を流れる川のほとりにはちょうど満開の桜並木が遠くに見えていた。このような何気ないところに咲く桜もなかなか風流なものである。

新井市街から少し北上するとすぐに上越市に入った。青看板にも見えるが、市境から少し行ったところに北陸新幹線停車駅の上越妙高駅が存在する。

上越市は人口18万人を誇る新潟県第3の都市であり、昭和期に高田と直江津という二つの市が合併してできた市となる。まずは南に位置する高田市街に入った。どちらかというとこちらが上越市の中心街である。江戸時代の初期に高田城が築かれて以来、城下町として大いに発展してきた。その高田城の桜が綺麗だという話を聞き、今回行ってみた。

高田城の堀の両岸にも桜並木が咲き誇っており、そのはるか背後にはまだ雪を被っている山脈の姿が見えた。

そして堀を渡る橋の向こうには天守閣が聳えていた。屋台が並んでいる区画もあり、非常に多くの人で賑わっていた。城と桜の組み合わせは非常に映えるものであると、この旅で実感した。なお、今回は行かなかったが、この高田周辺の山には春日山城跡もあり、戦国時代の名将、上杉謙信の居城として広く知られている。

高田城を出た後、さらに数km北上して直江津市街に入った。高田あるいは春日山の外港として古来より海上交通の結節点となっており、現在でも関西方面から佐渡島へ行く際に港として使用する。また、陸上においても新潟市長野市富山市三者を繋ぐ交通の要衝である。

さて、この直江津には自転車乗りの聖地がある。それが日本海沿岸に位置する船見公園である。自転車乗りには東京を始めとした太平洋沿岸に位置する地域から日本海沿岸の直江津までの約300kmほどを自転車で走るという風習があり、毎年8月31日の18時にはその荒行を終えた猛者たちが船見公園に集合するのである。公園には人魚の像があり、これが集合場所の目印になっている。多くの自転車乗りの軌跡に思いを馳せつつ、この公園で暫し休憩した。

その後は関川の河口を渡り、高田平野を北東へ走っていく。

頸城、柿崎と平成期に上越市に合併された地を通っていった。新潟県の他の諸市にも共通するが、上越市はなんと13町村を編入して数倍の面積となった。全国でも有数の大合併である。

やがて国道は日本海に沿うようにして走るようになった。ただ、起伏はかなりあり、小高い地点からは鉄路と日本海のコラボレーションを見ることができた。

海沿いの道のまま柏崎市に入った。この市もかなり広い面積を持ち、市境から10kmほど走ってようやく市街に到達した。引き続き起伏が多い道で、途中の地点には日本海、集落、鉄路の3者を眼下に見下ろせる絶景を見ることができた。

柏崎市は人口7万人ほどの地域拠点都市であり、狭い平野に市街地が広がっている。石油会社の大手、エネオスの創業地であり、現在もガス田や原発など、エネルギー産業が盛んとなっている。

その後は内陸の長岡へ向かうために東の山地に入って行った。予期はしていなかったが、峠の頂上付近で刈羽村に入った。村の中心地は遠く離れているが、これはこれで制覇となる。

そして峠を越えて長岡市に入り、長岡駅まで至った。それで今回の旅は終わりとし、輪行にて新幹線で帰宅した。

 

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今回の制覇市町村:

長野県飯山市

新潟県妙高市上越市柏崎市刈羽村

制覇状況:484/1,718

 

市町村再制覇編②(東京都南部、千葉県、神奈川県)

2022年1月9日

東京都豊島区〜多摩市〜豊島区

 

今回もカントリーサインの写真を撮り直すことで再制覇した関東の市町村についてまとめる。

 

自宅から西南に走り、23区域から調布市に入った。20万人以上が居住し、東京人が住まう地として人気である。深大寺など見るべき名所も存在する。

府中市に入った。こちらも25万人ほどの大都市で、旧武蔵国国府が置かれていた地である。市域に競馬場、競艇場の両方が存在する。

国立市に入った。「こくりつ」ではなく「くにたち」と読む。面積が狭いため、人口は東京都では少ない方の7万人ほどである。文系においては国内で二番手を争う位置にある難関大学一橋大学の所在地である。

多摩川を渡って日野市に入った。丘陵地帯を含み、かなり起伏のある地であるが、そこに住宅街が形成されている。面積は東京都の中では広く、人口は20万人近い。

南東へ走り、多摩市に入った。日野市にまして丘陵地帯で覆われており、〇〇丘という地名が多い。多摩川沿岸の狭い平地には京王線聖蹟桜ヶ丘駅というかっこいい名前の駅が存在する。

多摩市の東隣にある稲城市に入った。多摩川の南岸にあり、住宅街も多いが、農業も盛んである。

多摩川を渡って調布市に戻り、ついで調布市の南東にある狛江市に入った。東京都で最も面積が小さい市だが、人口は10万人以上である。

そして23区内に戻り、世田谷区に入った。成城などの高級住宅街を始め、人気の住宅街が多数存在し、東京都の中でも人口が集中している。

この日はこれで終わったが、後日以下のように文京区、台東区に行った。文京区はその名の通り、東京大学を始め大学などの教育機関が集中しているほか、戦前の下町の姿を残している地域(谷根千)がある。台東区は上野や浅草など、日本有数の繁華街を抱えている。

 

2022年1月23日

東京都豊島区〜千葉県印西市

 

この日は自宅を出て東へ進み、千葉県の諸市を再征服した。荒川区墨田区江戸川区葛飾区と23区域を次々と制覇していった。

そして江戸川を渡って千葉県に入り、市川市に入った。人口50万人近い大都市であり、東京のベッドタウンとして大いに栄えている。

そして船橋市を通って白井市、ついで鎌ヶ谷市に入った。ここら辺までが東京都市圏という雰囲気で、ここからは農地も入り混じった昔ながらの家々が並ぶことになる。ちなみに鎌ヶ谷には北海道が本拠地のプロ野球チーム、「北海道日本ハムファイターズ」の二軍が拠点を置く球場がある。

そしてさらに西へ行き、印西市に入った。ここまでくると農地と住宅街の面積が逆転し、水田や畑が広がるようになる。旧印旛村領域には江戸時代の干拓作業の過程で誕生した印旛沼も存在する。

市役所周辺も東京と比べるとなかなか長閑な風景である。

そして市役所周辺に存在する木下駅に到着し、輪行にて帰宅した。

 

後日、再制覇のため足立区に行った。北千住という東京北部随一の繁華街がある一方で、昭和の雰囲気を色濃く残している街が多い。

 

2022年2月26日

東京都豊島区〜神奈川県伊勢原市

 

この日は神奈川方面に向かった。南へ向かい、品川区、大田区に入った。

神奈川県に入り川崎市横浜市を通って、再び東京都に戻って町田市に入った。神奈川県側に突き出たところにあり、神奈川県町田市と揶揄されることもある。実際、神奈川県から東京都に編入されたという経緯がある。

神奈川県に戻り、大和市、ついで座間市に入った。どちらも小田急の沿線であり、東京と鉄道がつながっているおかげで人口も10万人以上と栄えている。

そして神奈川県の中でも比較的存在感の薄い市、綾瀬市に入った。非常に緻密な東京都市圏の鉄道網をくぐり抜け、市中には鉄道駅が一つもない。しかし市街はかなり広々としており、住みやすそうな印象を受けた。

そして海老名市、ついで厚木市に入った。相模川を挟んで隣接している両市も小田急の特急が止まる駅が存在し、東京のベッドタウンとしての地位を築いている。特に海老名は駅南の開発が進んでおり、かなり勢いのある街である。

そして西南に進み、伊勢原市に入った。神奈川の関東平野では最西端に位置し、市域の西側は山地となっている。その麓に市街地が広がっている。

今回は伊勢原駅輪行し、自宅に戻った。

 

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今回の制覇市町村:

東京都世田谷区、文京区、台東区、足立区、荒川区墨田区江戸川区葛飾区、品川区、大田区調布市府中市国立市、日野市、多摩市、稲城市、狛江市、町田市

千葉県市川市白井市鎌ヶ谷市印西市

神奈川県大和市座間市綾瀬市、海老名市、厚木市伊勢原市

制覇状況:479/1,718

 

 

福島の高原都市・田村へ行こう!(福島県郡山市〜大熊町〜郡山市)

2022年2月12日

福島県郡山市大熊町郡山市 108km

福島県は大きく太平洋沿いの「浜通り」、阿武隈川沿いの「中通り」、会津盆地を中心とした「会津」の3地域に分かれるが、その浜通り中通りの中間はなだらかな山地となっており、そこにもいくつかの市町村が存在する。今回はその中でも最大の自治体となる田村市方面へ向かった。

中通り、ひいては福島県最大の都市である郡山を出発し、東へ向かった。程なくするとなだらかな上り坂となり、次第に山間部の景色へと変化した。そして三春町に入った。

昔は田村郡が郡山の東部に鎮座していたが、ほとんどが合併により田村市となり、今は小野町とこの三春町のみが田村郡の一員として生き残っている。江戸期には三春藩の城下町として栄え、今でも郡山市の通勤範囲内として人口2万人近くが居住する。

三春市街を過ぎてしばらくすると少し険しい坂があり、その坂の途中で田村市に入った。カントリーサインの他に、「はつらつ高原都市」と書かれた横長の看板もあった。今までは狭く、曲がりくねった道だったが、この付近は東北らしく、広々した道となっていた。

上り坂が終わり、少し下ると小規模だが開けた盆地に入った。ここが田村市の中心地、船引の街である。田村市は平成期に5町村が合併してできた市であるが、その人口の半分程度が旧船引町地域に集中している。中心部には大規模なショッピングセンター「ふねひきパーク」や真新しい中心駅の船引駅、数軒のチェーン系ロードサイド店舗があり、小規模ではあるが都市の体裁を成している。

地方都市の駅にはたまに見られるが、船引駅の構内には本が敷き詰められている本棚が存在し、ミニ図書館とでもいうべき光景があった。

船引からさらに東へ進み、旧常葉町、旧都路村と駆け抜けていった。ここら辺は完全に山の中という様相で、平地はほとんど見られなかった。しかしこのルートは中通り浜通りを結ぶ最も重要な道であり、田村市があった地は中世には坂上田村麻呂の子孫とされる田村氏が割拠しており、戦国時代に伊達政宗に征服されるまで独立した地域であった。

旧都路村の北側には葛尾(かつらお)村が存在するので、制覇のために一度北側へ曲がり、村境までかなり勾配のある上り坂を登っていった。そして葛尾村に入った。この地点になると標高は600mに達し、雪もかなり残っていた。葛尾村浜通りに属し、ここが中通り浜通りの境界となる。その後は来た道を引き返していった。

元の道に戻り、太平洋を目指して再び西へ向かった。次第に深くなる積雪にタイヤをとられつつ進んでいくと不穏な看板が見えてきた。実は今から向かおうとしている浜通りの中央部(浪江町双葉町大熊町富岡町の領域)には福島第一原発、第二原発があり、原発事故の影響で立ち入りが制限されているのである。

路端には放射能を測る機器があり、原発事故の影響を生々しく伝えている。

その後浪江町方面に行くのをやめ、大熊町方面に向かったが、やはり大熊町に入った途端、係員が立っていて通行規制を行なっていた。自転車はどうしても通れないということで、浜通り北部にある相馬市の方面に向かいたかったのだが、残念ながらここで引き返すこととした。

そしてそのまま来た道をそのままなぞって郡山に戻った。ルートを完遂できなかったのは残念だが、原発事故の脅威を肌で実感できたのは収穫だった。また自転車で通れるようになったら再チャレンジしようと思った。

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今回の制覇市町村:

福島県三春町、田村市葛尾村大熊町

 

制覇状況:461/1,718

 



 

 

雪積もる滋賀の大動脈を辿ろう!(京都府京都市〜滋賀県米原市)

2022年1月3日

京都府京都市滋賀県米原市 73km

この日は帰省していた京都から東京へ帰る際、通り道の一部であった滋賀を自転車で走ったものである。

 

京都から2つの山を越え、滋賀県大津市に入った。大津は古来より琵琶湖に面する港町として栄え、大化の改新を成した天智天皇の時代には日本の首都であった、伝統ある地である。ただ現在は県庁所在地であるものの京都に近すぎるせいでそのベッドタウンとしての役割が大きくなっており、県内においても隣の草津市の勢いに押されている感は否めない。

大津市街の琵琶湖岸は公園となっており、その遊歩道を自転車で通っていくと、やがて大きな橋が見えてきた。

これが琵琶湖最南端の湖上を跨ぐ近江大橋である。全長1km超の長い橋で、大津から草津東への道のりをショートカット可能な橋となる。橋上からは漫々と水をたたえる琵琶湖を全方位見渡すことができた。ただ、これでも琵琶湖全体から見るとくびれにあたる細長い部分に過ぎず、いかに琵琶湖が広いか逆に実感した。

湖を渡って瀬田の地を抜けると草津に入った。近年京阪神都市圏のベッドタウンとして成長著しい街である。ここまでは東海道を辿って自転車で帰省した時に通った地であり、ここから東海道(現国道1号)から北陸や岐阜方面に通ずる国道8号が分岐する。今後は未踏であった国道8号方面へ向かっていく。

栗東、ついで守山市に入った。栗東市は平成期、守山市は昭和期に単独で町→市になった自治体で、このことからも分かる通り、両市共に現在も人口増加を続ける勢いのある街である。人口増加、街の発展という観点からは実は滋賀のこの一帯が近畿地方で今、一番波に乗っているのではという印象を抱く。

続いて野洲川を渡り、野洲市に入った。野洲市も京都、大阪への通勤圏内で、人口は微増している。ここら辺は三上山が近江平野部に迫り出しており、国道8号のすぐそばに山が迫っている。

そして勾配の緩い坂が連続するようになり、竜王町へ入った。ただ、国道から竜王の中心街までは5km以上離れており、ほんの少し通過すると近江八幡市に入った。

竜王と同じく、近江八幡市も方角は逆だが中心街は国道から北側へ離れている。人口8万人を有する市で、江戸期には商業の町として大いに栄え、現在でもその街並みが保存されている地区が存在する。国道から現在の中心街は田んぼの先に見ることができた。

東近江市に入った。平成期に内陸部の四日市市が琵琶湖に面する能登川町を始めとする周辺の町を合併してでき、人口は10万人を擁する。ただ、ここまでくると京阪神都市圏からはだいぶ離れてきており、人口は微減状態である。ここらへんで雪が積もっている場所が出始めた。意外かもしれないが、滋賀の東部はかなりの豪雪地帯である。それはこの後の旅路からも体感することができた。

東近江市の旧能登川町域を走り抜け、愛知川を越えて愛荘町、ついで豊郷町に入った。ここまでくると田んぼの割合がかなり増え、その中に昔ながらの集落が点在する景観になっていく。

そして彦根市に入った。暗いと少し手を揺らしただけででカントリーサインの文字が見えなくなるくらい、写真がぶれてしまう。

彦根市に入るとますます積雪の量が増えていった。滋賀の中でも特に彦根は近くの伊吹山から雪雲が降りてくることが多く、中心街でも年1、2回50cm以上の大雪が降ってくる。偶然今日はそのような日の直後に訪れたということである。近畿の市街地でこのような積雪量になるのは他に京都府北部、兵庫県北部くらいのものだろう。

彦根市街にも大量の雪が積もっていた。夜の光も相まってなかなか幻想的な風景である。彦根市は人口11万人が居住し、滋賀東部の中心的都市となっている。

そして、彦根といえばなんといっても彦根城である。幕末の大老井伊直弼を始めとして譜代大名として江戸幕府を支え続けてきた井伊氏の居城であり、元祖ゆるキャラともいえる「ひこにゃん」のデザインのもとにもなったため、かなり有名な城である。現在の彦根市街の西側、琵琶湖に近い位置にある。本来は日中に行きたかったが、明かりに照らされる彦根城もなかなかいいものであった。

そして米原市に入った。あいにく米原市カントリーサインは見当たらなかったが、彦根市の看板は再度、手ぶれの少ない写真を撮ることができた。

そして北陸本線東海道本線の結節点、米原駅まで行って今回の旅は終わりとした。

 

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今回の制覇市町村:

滋賀県守山市野洲市竜王町近江八幡市東近江市愛荘町豊郷町彦根市

 

制覇状況:457/1,718