市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

2泊3日で福島、宮城、岩手の東北3県を縦断しよう!(茨城県水戸市〜岩手県一関市)

2020年11月21日

茨城県水戸市岩手県一関市 341 km

東北地方。古くは夷狄の地であり、「日本」の一部に組み込まれてからも未開の地としてのイメージを持たれてきた。それもそのはず、山がちで平野が少なく、世界有数の豪雪地帯で、人の居住を拒むような地域も少なくない。また、南北に細長く、最南端の福島県から最北端の青森までは約500kmほどのスケールである。今まで東北地方には玄関口の福島県しか行けていなかったが、今回は福島県を超えて宮城県岩手県と東北三県の縦断を行った。

 

1日目

茨城県水戸市福島県郡山市 132 km

始まりは茨城県水戸駅とした。ここからJRの水郡線に沿って内陸部を進み、福島県を目指す。

那珂市、ついで未踏の地である常陸大宮市に入った。

常陸大宮市は5町村が合併して成立した市だが、中心地は旧大宮町となる。だが、中心駅名は常陸大宮駅であり、新市名と一致する。駅名が先にあり、自治体名が後に来る、珍しいパターンである。

駅前には案内看板もあった。市内にはいくつか温泉があるようだ。

次第に平野は狭まり、山あいの谷という様相に変貌していった。やがて旧山方町に入った。

谷底を流れる久慈川を何度か渡りながら北上した。ここまで来ると水も澄んでおり、田舎にきた、という実感が湧く。

長かった常陸大宮市を抜け、大子(だいご)町に入った。

町内には茨城県の中では有名な観光地、袋田の滝がある。ただ、国道からは少し離れているため、今回は訪れなかった。

久慈川と押川が合流してできた平地に大子市街は存在する。川の合流地点や市街も見渡すことができた。

どうやら市街は温泉郷となっているらしい。

なおも久慈川を遡っていき、ついに福島県(矢祭町)に入った。なお、福島県になっても久慈川は続くので、県境に大した坂はなく、楽々県境越えをすることができた。

ここら辺の国道のすぐ側には矢祭山があり、駅もあるため、アクセスしやすい山となっている。周辺に人家はなく、静謐な雰囲気を醸し出していた。

この狭い谷を抜けると少し幅の広い平地に出て、程なく矢祭市街に入った。字としては東館と呼ばれる地には、いくばくの商業施設のほか、もったいない図書館という謎の施設があった。どうやら矢祭町では「もったいない」をキーワードに行政改革をおこなっており、その一環で名付けられた施設のようである。

細長い盆地部を北上し、塙町に入った。

田園と住宅街が入り混じる道を行き、塙市街に入った。塙は江戸時代には幕府の天領となっており、それをアピールした名の道の駅があった。

ここら辺までくると、久慈川の水量も減少し、だいぶ上流まできたことを実感する。

棚倉町に入った。江戸時代には棚倉藩の城下町として栄えた地である。

ここまでは大体平坦で、登ったとしても緩い坂だったが、棚倉市街直前で少し険しい坂となった。無事、上り切って棚倉市街に入った。昭和の面影残る街であった。

ここで、棚倉藩のシンボルだった棚倉城跡に寄り道する。織田信長重臣丹羽長秀の子の長重によって建築された城である。天守はなく、小高い丘と幾つかの遺構が残っているのみである。

市内には時の鐘と思われる建築物も残っていた。

最後に棚倉駅に寄った。例の如く、観光案内マップも併設されていた。

そして、棚倉市街を出る頃には日もすっかり落ちてしまった。久慈川は棚倉市街で西に曲がるのでここでお別れとなる。代わりに阿武隈川流域に入り、下り坂となった。

この後は暗くなったこともあり、先を急ぐことにした。浅川町、石川町、玉川村と面積の小さい町村を次々と駆け抜けて行った。

須賀川市に入って、焼肉店で食事を済ませた後、東北の最重要国道である国道4号線に合流した。その後は郡山市まで行き、市内のホテルに宿泊した。

 

2日目に続く

日本国道最高地点の地、「渋峠」に登ろう!(長野県側編:長野市〜渋峠〜長野市)

2020年9月20日

長野市渋峠長野市   108km

今回は日本にある国道で最も標高の高い地点、渋峠(標高2,172 m)を目指して長野県側から登っていく。ロードバイク愛好者ならば誰もが憧れる地で、最高地点到達というトロフィーのみならず、途中の景色も絶景である(特に群馬県側が絶景なのだが、当時は白根山噴火レベルが高かったため、通行止めとなっていた)。

 

新幹線で長野駅まで行き、自転車を組み立ててから出発した。まずは東へ進み、千曲川を渡って須坂市に入った。長野市近隣であり、アクセスも良いため、人口は5万人と地方都市の中では栄えている方だ。また、群馬県と接しており、県境には2,000m級の山が聳えている。

須坂市街で北に進路を変え、小布施町に入った。長野県で最も面積が小さい町であり、しかも南と北に市があるので、平成の大合併でなぜ消滅しなかったのか、不思議に思っていた町だった。しかし、実際訪れてみると、市街地は江戸時代の気風を残す趣のある店が並び、観光客で賑わっていた(写真は撮り忘れた)。どうやら浮世絵師の葛飾北斎ゆかりの地であり、それを生かしたまちづくりに成功しているようだった。

さらに北上し、中野市に入った。ここも須坂市同様、長野市へのアクセスの良さを生かして人口4万人ほどを確保している。今回は中野市街には入らず、郊外を大回りして再び東へ向かった。この大回りの途中で、渋峠をそのルートに含む、国道292号と合流する。以降、この国道に沿って渋峠を目指す。

しばらく走ると長野盆地に別れを告げ、緩やかな坂となった。そして山ノ内町に入った。以降、渋峠までは山ノ内町内を走ることとなる。

山ノ内町の中心地を少し超えたあたりまでは坂の勾配も5%程度だが、建築物がつき、周囲が森林となると勾配は上がり、進む速度は落ちていった。

坂がキツくなった地点から、標高600m分を一気に登っていった。その後、一旦道が平坦に近くなると、峠の前半部分をクリアしたことになる。このエリアは志賀高原と呼ばれ、多くのスキー場があるリゾート地となる。また、所々温泉が湧くようで、国道の近くにも温泉が湧くスポットを見ることができる。

標高1,700mを超えたあたりから再び坂は急になった。そして次第に周りの木々の背が低くなり、視界が開けていった。この坂は峠の前半部分で疲弊した私の足にとどめを刺したようで、次第に足に力が入らなくなった。仕方ないので、足が悲鳴を上げるたびに自転車を止め、休憩を入れながら進んでいった。

標高1,900m付近からはヘアピンカーブが連続する、九十九折りの道に変化する。そして、ついに標高2,000mを突破した。ただし、その先にはまだまだ上り坂が続くさまが見えた。絶望感に襲われながらも、何度も足を止めつつ、少しづつ登っていった。

標高2,000mを超えるとついに森林が途切れ、笹などで覆われた草原地帯も随所に見られるようになった。これが、渋峠を特徴づける絶景である。なお、この草原地帯は標高による純粋な森林限界ではなく、強風などの気候条件によって形作られたものであるらしい。

洞門をいくつか通過すると、坂の勾配が緩くなり、いよいよ峠の頂上に近づいていく。ここまでくるともう一踏ん張りだ、と最後の力を振り絞った。

そして、ついに渋峠に到達した(ついでに、群馬県境を超え、群馬県中之条町の制覇もできた)。実は渋峠と呼ばれる場所は国道の頂上ではなく、もう少し先に国道最高地点が存在する。

渋峠にはなんとホテルが立っており、ホテル内で長野県と群馬県に分かれている。いつか泊まってみたいものである。このホテルでは犬が飼われており、名物となっている。また、ホテル内で食事をとることもできたので、カレーを食してエネルギーを補給した。

また、渋峠には横手山に向かうリフトも存在する。

しばらくすると、周りが霧に包まれた(というより峠が雲の中に入った)。そのような中、最高地点に向かってリスタートした。とは言ってもほとんど坂とはいえないような平坦な道であり、これまでの道のりからすると楽勝であった。

そして、ついに標高2,172mの日本国道最高地点に到達できた。当地点には石碑が立っており、車やバイクで同じく来訪した旅人が幾人か写真を撮っていた。

しばらく感慨に浸っていたが、すでに午後5時近くになっていたこともあり、あまり長居はできなかった。来た道を引き返し、渋峠に再度到達した頃には霧が晴れていた。

下っていく時には絶景をより堪能する余裕ができ、何度も足を止め、写真を撮りながら進んでいった。

その後は一気に下っていき、途中日が落ちてしまったものの、無事山ノ内市街まで戻ることができた。ちなみに山ノ内市街には渋温泉湯田中温泉という温泉地が連続して存在しており、穴場の観光地となっている。

この後は、最短経路で長野駅まで戻り、輪行にて帰宅した。

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今回の制覇市町村:長野県須坂市小布施町中野市山ノ内町群馬県中之条町

制覇状況:286/1,718

 

ちょっとお出かけアラカルト⑤(茨城編)

2019年12月23日

茨城県土浦市鉾田市石岡市 71km

この回は、茨城中央部にある土浦駅を出発し、東へ向かった。少し上り下りのある道を行きつつ、かすみがうら市に入った。市名はもちろん、日本第二の湖、霞ヶ浦に面していることに由来する。平成の大合併で誕生し、同じ茨城県つくばみらい市とともに日本で最も長い6文字のひらがな市名となっている。

田畑と住宅街がモザイク状に存在する道を行き、霞ヶ浦沿岸に達した。ここから霞ヶ浦大橋を通って湖の狭くなった部分を渡っていく。湖にかかる橋にしてはかなり高さの低い橋である。

1kmちょっとある橋を渡り、行方市(制覇済み)に入った。

湖を渡ると田畑が増えてきた。あまり知られていないが、茨城県は日本有数の農業県であり、さつまいもや水菜などの産地である。

東北に進路をとり、鉾田市に入った。この市も平成の大合併で誕生した。

市が変わっても田畑が大半を占める風景は変わらない。鉾田市茨城県の中でも特に農業が盛んであり、市もさまざまな媒体でそれをアピールしているようである。

鉾田市街に入った。ちなみに鉾田市の中心駅は新鉾田駅であるが、それ以前にあった鉾田駅は、それを用いていた路線が廃止されたため、現存しない。

鉾田市は太平洋にも面している。せっかくなので海まで行ってみた。冬だからだろうか、太平洋は荒々しかった。

その後、鉾田市街に戻り、続いて西へ向かった。途中、小美玉市に入った。小川町、美野里町、玉里村が合併してできた市であり、それぞれの頭文字を一つとって小美玉と名乗っている。今回通ったのは小川、玉里であり、瓦葺きの住宅が集まっていた。

石岡市に入ったが、カントリーサインはなかった。石岡市は土浦と水戸の間にあり、それなりにベッドタウン需要もあるようだ。今回は石岡駅輪行にて帰ることにした。

 

2020年8月14日

東京都豊島区〜茨城県ひたちなか市 127 km

この回は、自宅の東京から茨城北部へ向かって自転車を走らせ、途中の市町村を制覇した。

幾度も通った国道6号に沿って北東に進み、茨城県に入った。そこから取手市、竜ヶ崎市、牛久市と制覇済みの市を再訪した後、少し寄り道をして阿見町に入った。隣の土浦市ベッドタウンとして機能しており、人口も4.8万人と町の中ではトップクラスである。

その後、土浦市かすみがうら市と通り、前回訪れた際にカントリーサインを取り損ねた石岡市に入った。

石岡市を抜け、前回制覇した小美玉市の旧美野里町地域(市役所もここにある)に入った。写真のような中心地には住宅街が形成されていたが、基本的には広々とした田園風景の中を進んでいった。

続いて、まだ行っていなかった茨城町に入った。県の名前を冠しているものの、人口3万人と、県庁所在地の水戸と比べるとだいぶ小規模な町である。

その水戸市茨城町の北隣にある。すでに何回か自転車で訪れたことがある地である。「梅と歴史のまち」という看板があるが、徳川御三家の領地、水戸藩として有名なので歴史というのは分かるが、水戸の特産といえば納豆しか知らず、水戸に梅のイメージはなかった。

水戸市街に近づくにつれて、高い建物が立ち並ぶようになってきた。やはり県庁所在地だけあって、国道は立派な三車線である。

途中、日本三名園の一つである偕楽園の近くにも寄った。偕楽園の周辺には湖があり、自然も多い。また園内にもいつか入りたいものである。

水戸市街を抜け、那珂川を渡り、北上すると那珂市に入った。東隣のひたちなか市と同様、那珂川を市名の由来に持つ。近年は水戸市ひたちなか市ベッドタウンとして人口が増えているようだ。

今回は那珂市の中心地までは行かず、すぐに南へ進路をとり、ひたちなか市へ入った。勝田市那珂湊市の合併によってできた市で、現在は15万人の人口を誇る工業都市として栄え、隣の水戸市と共に茨城県の中核を担う市である。

今回はこのひたちなか市勝田駅で自転車を畳み、帰宅した。

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今回の制覇市町村:茨城県かすみがうら市鉾田市小美玉市石岡市茨城町那珂市

制覇状況:281/1,718

 

日本の鉄道最高地点の地を自転車で走ろう!(山梨県韮崎市〜長野県佐久市〜群馬県富岡市)

2020年6月27日

山梨県韮崎市〜長野県佐久市群馬県富岡市 118 km

今回は1日で山梨→長野→群馬と3県を巡った。いずれも隣県に行くには山越えが必要で、特に今回の山梨→長野間はJRの小海線のルートに沿って行くのだが、日本で最も標高の高い野辺山駅が存在する。そのことからも分かる通り、かなり険しい旅路となる。

韮崎駅を出発して国道141号を北上すると、すぐに北杜市に入った(制覇済み)。

程なく、坂道になってきた。段々状の上りで、坂が緩くなる場所には水田が広がっていた。眼前の山並みがこれからの道の難しさを想起させる。

次第に森林へと入り、坂が険しくなってきた。ここから標高800mから1400m付近まで一気に登っていく。夏の日光が照りつける中、汗水を流しながらなんとか登っていった。

1200mを超えると勾配は緩くなり、清里(旧清里村)の街に入る。

清里は高原にあるだけあって夏も比較的涼しく、避暑を行えるリゾート地として昭和には大人気だった。ただ今でもある程度の観光需要はあるらしく、街を歩く人は多かった。

メルヘンチックな建物もあり、独特の雰囲気を醸し出していた。

清里からはこれまでより緩い坂を登っていき、やがて県境に到達した。ここからは長野県南牧村となる。

標高1,400m付近まで上り、下りとなった。その付近には、日本の鉄道における最高地点もあり、碑も立っていた。

周辺の農作物直売所には先ほどと同じような鉄道最高地点の碑が横向きで置かれていた。古くなったものを撤去し、安置しているのであろう。見てはいけないものを見てしまった気分になった。

農作物だけでなく、乳製品の直売所もあった。この周辺は野辺山高原と呼ばれ、レタスの産地だが、牧畜も盛んであるらしい。この直売所でソフトクリームを買ったが、暑さと疲れで打ちのめされた体に染み渡り、美味しかった。

やがて標高1,346mに存在する日本一標高が高い駅、野辺山駅に着いた。今回はなぜか写真を撮っていなかったので、前回小海線に乗って訪れた時の写真を載せる。やはり観光客需要はあるらしく、駅前には店や宿屋も存在した。

野辺山高原には広大な農地が広がっており、その奥には八ヶ岳の峻険な山並みが聳えていた。

野辺山高原を過ぎると一気に下り坂がキツくなり、曲がりくねった、峠らしい道になる。標高1,050m付近の海ノ口という地に至ると千曲川に行き当たり、そこからは勾配が緩くなる。

海ノ口はまた、南牧村の中心地であり、村役場が存在する。村だけあって、街は非常に小規模だった。

千曲川を下っていき、小海町に入った。小海線の名の由来となった町である。

千曲川を挟んで存在する小海の中心街は、川にかかる橋から見ると大変映えていた。このような山奥の自然豊かな小さい町での生活には憧れるものがある。

清里の建物や野辺山駅もそうだったが、小海駅の駅舎も西欧風だった。ここら辺の八ヶ岳山麓一帯はメルヘンな建物が好きなのだろうか。

小海駅からは千曲川を挟んで国道と並行して走る府道に沿って北上し、佐久穂町に入った。佐久町と八千穂村が合併してできた町で、この二つの自治体を合体させた名前となっている。

佐久穂町も小海町と同じく、山に囲まれた谷にある街という体を成していた。八千穂駅にある案内看板は年季が入っていたが、分かりやすいものであった。看板にあるメルヘン街道の頂上は、国道で2番目に標高の高い、麦草峠である。いつか登ってみたい峠の一つである。

旧佐久町の中心部あたりで住宅街が連続するようになり、そのまま佐久市(制覇済み)に入った。昔は佐久には市と町があり、ややこしいことになっていた。合併が進んだ今でも、まだ釧路など市と町の2つあるような地名は存在する。

佐久市に入ると、佐久盆地に入り一気に視界が開ける。佐久市は10万人近い人口を有しており、主に佐久市役所のある中込と新幹線が止まる佐久平駅のある岩村田を中心として栄えている。また、海から最も遠い市としても有名である。

今回は中込を覗いてみたが、街並みは若干歴史を感じさせるものの、車で渋滞しているようで、盛況ぶりが伺える。

中込からは国道254号に沿って東へ曲がり、群馬との県境越えに挑む。とはいっても標高300m差の道を10kmくらいかけて登るため、坂はだいぶ緩やかである。険しい坂道、峠の多いここら辺のエリアの中ではかなり良心的である。

峠のトンネルを越え、群馬県下仁田町に入ると一気に降っていく。ここら辺は長野側より群馬側の標高が圧倒的に低いため、このような道になるのである。

この後通る下仁田町富岡市はすでに制覇済みであるのでカントリーサインは撮らなかったが、下仁田町の国道沿いにあるアジサイ園が見頃を迎えていたので写真を撮った。なかなかの壮観である。

この後は富岡駅まで行き、輪行にて帰った。

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今回の制覇市町村:長野県南牧村、小海町、佐久穂町

制覇状況:275/1,718

関東平野から山越えにて新潟県へ行こう②!(群馬県渋川市〜新潟県長岡市〜新潟県南魚沼市)

前回の続き

 

2日目

新潟県小千谷市長岡市南魚沼市 130 km

2日目は、宿泊地の小千谷市街から出発した。市街は、上越線小千谷駅からは信濃川を挟んだ西側にあり、北隣の長岡市ベッドタウンの機能も果たしている。

市街を出て、越の大橋で信濃川を渡った。言わずと知れた日本最長を誇る川であり、この地点では下流域に入っていることもあり、かなりの川幅であった。

信濃川を渡ると長岡市に入った。新潟県では新潟市に次ぐ第二の都市であり、その人口は25万人にも及ぶ。カントリーサインにもあるとおり、日本三大花火大会の一つ、長岡まつり大花火大会で有名である。

長岡市は大きな面積を有する市で、市境から10kmほど北上してようやく長岡駅に着いた。ただ、かなりの大都市にも関わらず、長岡駅周辺の市街は人気があまりない。というのは、長岡駅から信濃川を挟んで西に4kmほど離れたところに、新市街ともいうべき繁華街が存在し、住民の大半はそこを利用しているからである。

長岡旧市街から10km近く北上し、見附市に入った。カントリーサインの市章が潔いこの市は小千谷市同様、長岡市ベッドタウンの役割を有する。

ここら辺は完全に越後平野の広大な平地が広がっており、市街地以外は一面、田んぼである。

三条市に入った。しかし、市街までは行かず、ここで国道を離れて西に進路をとった。

西に入ったのは燕市を制覇するためだったが、市境の信濃川を渡ってもカントリーサインはなく、そのまま燕市に入ってしまった。ちなみにこの地は分水と呼ばれ、ここで信濃川が二本に分かれ、一方が太平洋に注ぐ水路となることに由来がある。

再び信濃川を渡ると、燕市カントリーサインを捉えることができた。川の向こうは長岡市である。

この後は信濃川沿いを南下していく。だが、逆風が強く、かなり苦労しながら進んだ。

川口まで到達した後、今度は信濃川沿いに南西へ遡っていく。この頃になるとだいぶ風は弱まってきた。晴天と信濃川のコンストラクトが非常に美しかった。

信濃川沿いの狭い谷の細かい坂がある道を走っていくと、十日町市に入った。新潟県南部の魚沼地区では中心となってきた都市であり、魚沼市と並ぶ豪雪地帯かつ稲作産地である。

なおも南下し、十日町市街に入った。

その後、市街から5kmほど南下した後、東へ向かって峠を越えた。峠といっても300mくらいの標高差で、勾配も緩かったので、疲れた足をゆっくり回しながら越えていった。

峠を下る途中、雪覆道なるものを見かけた。ここの地点の場合、上の上越新幹線に積もる雪が道路に雪崩れてくるのを防ぐために設けられているのだろう。雪国らしい施設である。

峠を降り切り、南魚沼市の谷底地帯へ帰ってきた。雪をかむった越後山脈は冬ならではの景色で、吹雪にも遭遇したが、この時期に来てよかった、と感じさせた。

この後、丸山温泉という地で旅館の日帰り温泉に浸かってから、石打駅より輪行にて帰った。やはり自転車を走らせた後の温泉は気持ちがよいものである。

今回の旅は、吹雪に見舞われたものの、雪国としての新潟県を様々な角度で堪能できた、よき旅となった。ただ、雪国では冬の時期を1、2ヶ月長く見積もらなけばいけないと実感した。

 

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今回の制覇市町村:群馬県みなかみ町新潟県湯沢町南魚沼市魚沼市小千谷市長岡市見附市三条市燕市十日町市

制覇状況:272/1,718

 

関東平野から山越えにて新潟県へ行こう①!(群馬県渋川市〜新潟県長岡市〜新潟県南魚沼市)

2020年3月20日

群馬県渋川市新潟県長岡市新潟県南魚沼市 258 km

今回は初めて自転車で新潟県へと足を踏み入れた。関東平野新潟県に広がる越後平野の間には険しい越後山脈が広がっており、標高1,200mほどに位置する三国峠を越える必要がある。新潟県入りした後は越後平野南部の市町村を制覇することにした。

 

1日目

群馬県渋川市新潟県小千谷市 133 km

スタートの地は関東平野の北端に位置する群馬県渋川市とした。利根川に沿って北上し、前回制覇した沼田市を経由してみなかみ町に入った。群馬県最北の市町村である。

そのまま国道17号を走ると少し坂をのぼり、名胡桃城址を通った。利根川対岸の沼田城と対をなす難攻不落の城であり、真田氏などが領有していた。

一旦坂を下り、川沿いの平地に復帰した。やがて山の中に入っていき、赤谷湖に到達した。

赤谷湖周辺には猿ヶ京温泉という温泉地がある。山に囲まれた、雰囲気のある温泉街である。

さらに進み、完全に人家が無くなった。ここから本格的に県境の峠、三国峠に入っていく。

二桁国道ということもあり、三国峠は勾配自体はそこまでではないが、猿ヶ京温泉からの標高差は600mほどあり、勾配が緩い分、峠としては長い距離(10 km)となる。

三国峠の頂上は短いトンネルとなっており、そこを抜けると新潟県である。

トンネル手前でも雪がちらついていたが、トンネルを抜けるとそこは別世界であった。

3月末は雪などないだろうと思って油断していたが、そこはやはり日本で最も雪が降る地、新潟県。トンネルの外は吹雪いており、普通に雪も積もっていた。

トンネルで少し待機し、雪が弱まってからトンネルを出て新潟県湯沢町に入った。

湯沢といえば豊富なスキー場であり、冬は多数のスキー、スノボを楽しむ人で賑やかである。夏も避暑地として有用なレジャー地となり、関東民がよく訪れる地である。その湯沢でも有名なスキー場が峠のそばにある苗場スキー場である。さすがにこの時期はあまり雪が積もっておらず、スキー客らしき人はほぼいなかった。

苗場から峠を一気に降っていき、湯沢市街に入った。市街地は湯沢温泉として温泉地になっており、新幹線で手軽に訪れることのできる温泉となっている。

湯沢市街から程なく、南魚沼市に入った。

南魚沼市に入ってしばらく走ると、視界が開け、田園地帯となった。遠くに雪を被った越後山脈が見えた。

南魚沼の中心地、六日町市街に入った。私は知らなかったが、どうやら大河にもなった戦国武将、直江兼続の出生地であるらしい。

さらに北上し、浦佐に入った。市町村の中心でもないし、観光資源や商業施設もそれほどない、よくある田舎の小規模な街という感じであるが、なぜかここに上越新幹線の駅、浦佐駅がある。駅舎は立派だったが、中に入ると利用者はほとんどいないようだった。位置を見ると、魚沼市へのアクセス需要はありそうだが、ここに新幹線の駅を置いた意図は謎である。

魚沼市に入った。魚沼市日本で最も米の生産量が多い新潟県の中でも有数の米産地として知られる。また、魚沼のコシヒカリは毎年特Aという最上位の評価を受けており、高値で取引されている。さらに、日本有数の豪雪地帯でもある。ただ、豪雪地帯はここよりさらに山の奥のことで、中心街の小出を含む国道17号沿いは、走っている感じ、そこまで雪は積もらなさそうである。

ここら辺で日が暮れたので、道を急いだ。一旦、長岡市飛地となっている旧川口町に入った。

川口で信濃川と合流し、さらに北上すると、小千谷市に入った。

今日はここで宿を取り、宿泊した。

2日目へ続く

群馬の名峰の一つ「赤城山」に自転車で登ろう!(群馬県前橋市〜赤城山〜渋川市)

2019年11月3日

埼玉県寄居町赤城山群馬県渋川市 117 km

今回も前回に引き続き、群馬県の名峰にヒルクライムを行った。今回は赤城山である。群馬の平地からは一際目立つ山であり、観光客、登山客が絶えない地である。赤城山へのルートはいくつかあるが、今回は最も一般的な前橋市街地からのルートを選んだ。ついでに、周辺市町村の制覇も行った。

 

東武東上線の終点、埼玉県の寄居駅からスタートし、北上して群馬県を目指した。

群馬県に入り、藤岡市を通った。高崎市の南にある市である。

さらに北上し、県庁所在地の前橋市の市街地を抜けて赤城山方面に向かうと、緩やかな坂が始まる。まだ住宅街が尽きていない頃、大鳥居が見えた。赤城山頂上付近にある赤城神社の鳥居である。住宅街に突如現れた大鳥居は壮観であった。

この後、山の中に入り、2時間ほどひたすら登り続けた。大鳥居から赤城山に辿り着くまでの標高差は1,000 mほどあり、かなり大変な道のりであった。7〜10%ほどの坂が延々と続くような感じで、感覚としては、前回の榛名山よりしんどかった。

だが、ついにこのルートの最高地点に到達した。そこにはレストハウスのような観光案内所が存在したので一時休憩した。

展望台からは、赤城山の頂上らしき峰が見えていた。

赤城山頂付近の地図もあった。赤城山は火山なのだが、噴火によってできたカルデラ湖が二つ(大沼、小沼)存在しており、絶景が広がっていることが期待された。

だが、曇天と、すでに紅葉が落ちていたこともあり、実際訪れた大沼は物寂しげな雰囲気だった。ただ、これはこれで風情はあると感じた。

大沼湖畔には前述の赤城神社が存在する。時間がなかったため、中には入らなかったが、名前の通り、朱塗りの神社であるようだった。

この後はさらに北へ向かった。大沼に別れを告げ、少し登ると沼田市に入った。

この後はひたすら寒風の中を降った。途中標高が下がったことにより紅葉が回復してきた。日本人が好んで見にいく紅葉だが、私も秋らしさを感じられる紅葉は大好きである。やはり紅葉シーズンは山で自転車を走らせるに限る。

その後、いくつかの集落を通りながら片品川沿いの谷地を下り、沼田市街に至った。事前に普通の地図を見ただけでは分からなかったが、沼田市街は市街にしては珍しく、台地の上にあった。沼田が要害の地として重きをなしていた理由が実感できた。

そんな要害の地、沼田の中心だったのが沼田城である。戦国時代、真田幸村で有名な真田氏の拠点の一つであったことで有名であり、後北条氏の攻撃を幾度も跳ね返した実績を持つ。現在は城跡が公園になっている。

眼下には住宅街が広がっていた。上越線の鉄路と沼田駅も見えた。沼田駅は台地にある沼田市街に入ることが出来ず、このように近くの川沿いの平地に存在する。

その沼田駅にも行ってみた。市街からかなりの勾配の坂を下り、駅に着いた。やはり戦国時代をはじめとした、歴史深い街をアピールしているかのような駅舎だったが、近くの案内看板を見ると桜、温泉など、沼田城以外にも魅力的なスポットがあるようだった。

この後は南下し、すっかり暗くなった利根川沿いの渓谷を下っていく。途中、利根川を渡って昭和村を制覇しに行った。といっても川の向こうは昭和村なので橋を渡っただけで制覇でき、すぐに引き返した。

その後、関東平野に復帰し、渋川駅まで至ってここで終了とし、輪行で帰った。

 

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今回の制覇市町村:群馬県沼田市、昭和村

制覇状況:262/1,718