市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

雨と寒さを攻略せよ!長野県を周遊する2泊3日の旅(東京都豊島区〜長野県長野市〜長野県塩尻市)

東京都豊島区〜長野県長野市〜長野県塩尻市

2016年9月21日、走行距離314 km

今回でついに関東圏を脱出し、長野県に進出した。三連休を全て使った2泊3日の旅である。私は自転車旅における宿泊はなるべく安く済ませる主義で、ネットカフェやカプセルホテル、安いビジネスホテルで泊まる場合がほとんどである。今回は2泊ともネットカフェで済ませた。

 

自転車で長野県を走ることは初めてで、今回の旅は随分楽しみにしていた。しかし、その道のりは苦難に満ちたものとなった。以下にその記録を示す。

 

1日目

東京都豊島区〜群馬県前橋市

 

1日目は何の問題もなく東京から群馬県に入った。ただ、道中の市町村のカントリーサインはすでに撮っていた記憶があったので、全てすっ飛ばしてしまった。(後で確認すると以前撮った写真がなかった。私は携帯電話で自転車旅における写真を撮っているのだが、ガラケーからiPhoneに変えた際に写真の移行をしていなかったため、ガラケーの時に撮っていたのかもしれない。この後、これらの市町村は改めて再制覇することとなる。)

 

前橋市カントリーサインは撮っていた。17:38と夕方になって着いた。

その後、前橋駅に寄ってから、前橋市高崎市の境付近にある『カスタマカフェ(現ミックカフェ)前橋インター店』で宿泊した。

 

 

2日目

群馬県前橋市〜長野県千曲市

 

2日目、外では小雨が降っていた。しばらく待ったが一向にやまないので9時頃に出発した。この判断が苦難の始まりとなってしまった。

 

早々に高崎市に入ったが、カントリーサインは見当たらず、撮り逃してしまった。しかしそんなものは序の口だった。

高崎市街を抜けてから次第に雨が強まり出した。長野まで続く国道18号線に入り、高崎市から安中市に入ったがすでに余裕はなく、カントリーサインを再び見逃してしまった。仕方なしにホームセンターに入り、安いカッパを買い、それを着て再び出発した。カッパを着ると随分マシになり、速度は落ちたものの、碓氷峠の麓にある横川駅に到着した。

 

碓氷峠群馬県と長野県の境に存在する峠である。横川駅からは14.7 km、高低差は約600 m(標高956 m)で、平均斜度は4%ほどと、峠の中では登りやすい方である。初心者におすすめの峠である。

住宅街を抜けて森林の中に入ると雨が木に遮られて弱くなってきた。しばらく快調に走っていたが、途中で霧が出始めた。視界が塞がれたため、速度を落とさざるを得なかった。ちなみに碓氷峠を登る途中にめがね橋という名所があるのだが、余裕がなかったのでそのまま通り過ぎてしまった。

 

ついに碓氷峠の頂上、そして長野県境に入った。霧がすごくてカントリーサインもぼやけて見えた。ただ、なかなか洒落た看板である。

1 km近く坂を下ると軽井沢駅に着いた。ここまで雨に降られた上、標高が1,000 m近くなったので寒くなってきた。温まるために駅前の食堂に入り、うどんを食べた(店名はあいにく覚えていない)。冷たくなった体に非常に染み渡る食事であった。

 

しかし、その後がこの旅で一番辛かった。基本的に国道18号線をひたすら進んだのだが、まず、終わりだと思っていた上り坂が再び現れた。後で調べると最も高い所で標高1000 mを超えていた。その後は勾配が激しい下り坂である。下り坂は勾配が緩いと天国だが、勾配が激しいとスピードが出過ぎるため、非常に神経を使う。その上、雨は止まず、むしろ再び強くなった。このような下り坂+濡れた地面のコンボの環境では非常にブレーキが効きづらく、一つ間違えばスリップする危険もあった。そのような下り坂は軽井沢町の西端から御代田町小諸市東御市上田市の途中までおよそ25 km続いた。加えて9月としては異常な寒さも容赦なく襲った(標高高いから仕方がないが)。正直下っている間は生きた心地がしなかった。そのため、カントリーサインは撮っていない。これらの市町村も後に再征服する羽目になるのであった。

 

上田市に入り、ようやく下り坂がひと段落着いた。雨もだいぶ弱まった。ひとまず再び冷えた体を回復させるため、『宮桜の湯』という銭湯に入った。かなり熱い温度の湯で、すぐに体が温まった。

 

その後上田市街に入り、上田城跡に向かった。この城は戦国時代に、徳川家康を追い詰めた武将として有名である真田幸村を輩出した真田氏が本拠としていた城である。また、徳川家康の軍を二度撃退したことでも有名である。今は城郭や堀が残っている。

なお、上田駅もかなり真田氏をアピールしていた。真田氏の家紋、六文銭が映えていた。

その後、日が暮れて暗くなった中を坂城町千曲市と通っていった。千曲市カントリーサインは撮ってみたが、かなり見辛くなってしまった。

そしてついに19:30頃に今日の宿であるネットカフェ、『快活クラブ千曲屋代店』に着いた。なおこの店舗は2022年をもって閉店してしまったらしい。。。周辺で夕飯を済ませ、コインランドリーで洗濯してからネットカフェに入り、就寝した。

 

3日目

長野県千曲市〜長野県塩尻市

三日目は7時ごろにネットカフェを出発し、長野市に向かった。相変わらず雨が降っていたが、前日と比べると弱かったため、快調に飛ばした。

 

程なくして長野県の県庁所在地である長野市の境界に到着した。ちなみに長野県のカントリーサインは写真のように、その市町村を代表するモノの絵(写真にある絵はおそらく善光寺)と、その地点での標高が載っている場合がある。見ていて楽しい看板である。

しばらく走ると、国道沿いに川中島古戦場跡があったので、立ち寄った。戦国時代に戦国大名武田信玄上杉謙信が5度に渡って対戦した「川中島の戦い」の舞台である。

有名な武田信玄上杉謙信の一騎討ちの場面も銅像になっていた。

そしてついに長野市街に入った。

なにやら長野オリンピックを記念した建物もあった。

8:19に長野駅に着いた。長野県の中心駅だけあって立派な建築物である。

その後は松本に向けて南下した。距離的には千曲市に戻ってから国道403号を進むルートが最短だが、途中で峠があるため、当時貧脚でなるべく峠を避けていた私は犀川沿いの国道19号を通ることにした。

 

序盤は山に挟まれつつ農地と住宅街が変わるがわる登場する、走っていて楽しい道であった。

途中の信州新町(元々は独立した自治体だったが長野市に吸収)では恐竜の像も見つけた。どうやらここら辺で恐竜の化石が見つかっているらしい。

信州新町の市街に着いた。このような山間部の小さい市街地は風情があってかなり好きである。

やがて道は山間部の森の中に突入した。ここから30 km近くは視界が暗くて民家も少ない、心細い道であった。川沿いとはいえ、時々長い坂はあり、体力も削られた。また、時々雨が降ることもあった。

 

途中川を渡ったが、かなりの濁流になっていた。

11時ごろに長かった長野市を抜け、大町市に入った。大町市の中心部は現在の道から山を挟んで西側にあり、正直大町市に入ることは想定してなかったのでこの看板を見た時はびっくりした。どうやら2006年に大町市に合併した八坂村の領域であるらしい。

そしていつの間にか生坂村に入った。どうやらカントリーサインを撮り忘れていたらしい。

途中かなり長いトンネルがあった。

そして正午に安曇野(あずみの)市に入った。だが、なおも視界は開けないままだった。

しかししばらく走るとついに視界が開け、田んぼが一面に広がる風景を見ることができた。ここでようやく人心地が着いた。

ここら辺は元々明科町に属す場所だった。まさに今の私の心情にふさわしい地名であった。私は以後数回明科を訪れることになるが、その度に当時の感情が蘇ってくる。

 

写真の明科駅付近のコンビニでしばらく休憩をとった。

そして13時過ぎ、ついに松本市に入った。長野県では長野市に次ぐ人口を擁する中心都市である。

松本の観光名所といえばやはり松本城だろう、ということで松本市街に入ると真っ先に松本城に向かった。

 

やはり実地で見ると天守閣が立派であり、松本城が賞賛される理由がわかった。本当は天気の良い日に見たかったが。。。

水堀の周辺にはハクチョウもたくさん住んでいた。

その後松本駅周辺に向かった。やはり23万人の人口を抱える市だけあって、かなり高層建築物が立ち並んでいる。

ここら辺でようやく遅めの昼食をとった。なお、この頃の自転車旅の食事は大体チェーン店を利用しており、何を食べたかは大抵忘れてしまっている。当初、私の自転車旅行の目的はご当地の食事よりも様々な土地の風景を堪能することに主眼を置いていた。(今もその傾向は強いが...)

そして南へ向かい、15時頃に塩尻市に着いた。

本来この後は国道20号線に入って峠を越え、諏訪方面に行くつもりだったが、体力が尽きかけたこと、再び雨が降り始めたことがあり、塩尻駅輪行し、東京に戻ることにした。

 

今回は気候が安定せず、大変苦労した旅となった。余裕がないのでカントリーサインもあまり撮ることができなかった。この旅の教訓として、自転車旅行の計画を立てる際には天気予報を見て気温と降水確率を確認することが必須であると感じた。だが、苦難に満ちた旅であればあるほど達成感がある。これだから自転車旅はやめられないのだ。

 

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今回の制覇市町村:群馬県前橋市、長野県軽井沢町千曲市長野市大町市安曇野市松本市塩尻市

制覇状況:26/1,718