3 日目:静岡県静岡市〜愛知県豊橋市
走行距離:126 km
ゲストハウスから出発し、清水市街から静岡市街に入っていった。前日に引き続き強い逆風でなかなか速度が出ない。途中、私鉄の静岡鉄道と併走した。
さすが 70 万人の人口を誇るだけあって立派なビル街が存在した。静岡駅は国道1号線(バ イパスではない方)の側にあるので、寄り道せずに見ることができた。
駅前には徳川家康の像もあった。静岡は元々駿府と呼ばれ、徳川家康が晩年に本拠地とした場所である。
川を渡ると上り坂となり、東海道の丸子宿があった丸子を通過した。ちなみに今回、東海道を自転車で辿ろうということで、東海道の五十三宿のあった地になるべく立ち寄るようにしている。
標高 100 m までのぼって宇津ノ谷峠のトンネルを超え、藤枝市に入った。
坂を下る途中に岡部宿の宿場町を通った。大名が宿泊に利用した本陣の建物など、さまざまな建物が残っていた。
坂を下り、田畑と住宅が混在する道を行き、藤枝市街に着いた。藤枝市も人口 10 万人以上ある比較的大きな都市である。静岡県にはこのような市がかなり多くある。さすが、東海道の通り道として栄えた地域である。
島田市の中心部から程なくして大井川に到達し、橋を渡った。こちらも安倍川と同様、川幅は広いが、いくつもの細い流れに分かれていた。
川を渡り、旧金谷町(現島田市)に入った。
金谷市街地を過ぎると、すぐに東海道の三大難所に挙げられる日坂峠(もしくは小夜の中山)に入った。曲がりくねった上り坂を上り、一度下って川を超え、再び上って標高 180 m 地点のトンネルを抜けると下り坂となった。途中、静岡県が生産量一位を誇るチャノキを栽培する茶畑も存在した。
トンネルの直前で掛川市に入った。トンネルを超え、下り坂に入って程なくして日坂宿を通過した。こちらも江戶時代の面影を感じさせる街並みであった。
坂を下り切って掛川市街に入った。チラッと掛川城も見えた。土佐藩の始祖として知られる山内一豊などの居城だった場所である。ここまで逆風でかなり消耗していたため、ここら辺でチェーンの飲食店に入り、昼食をとった(普段はコンビニで買って済ますことも多い)。
掛川市街を出て、袋井市に入った。少し走ってすぐに袋井市街に入った。
磐田市に入り、少し坂を上り下りして磐田市街に入った。江戶時代には見附という地名であり、見附宿があった場所である。
なおも下って旧豊田町を通過し、天⻯川を渡った。天⻯川は静岡県を流れる川で最も⻑く、⻑野県の諏訪湖が水源である。川幅も非常に広かった。
天⻯川を渡り終えると浜松市に入った。浜松市は県庁所在地の静岡市を上回る人口を有し、80 万人近くが住んでいる。市の⻄側にある浜名湖で育てられる養殖ウナギで有名である。
次第に街が華やいでいき、浜松市の中心部に突入した。市街地の中でも道がかなり広く、走りやすかった。
浜松市街を抜け、東海道の宿場町だった旧舞阪町に入り、そして浜名湖岸に到達した。そして橋を渡って、浜名湖の中に存在する島である、弁天島に着いた。
この弁天島は大学の課外講義で訪れ、数日を過ごした思い出の場所である。当時の風景を懐かしみながら、海上を往く橋を渡り、湖⻄市に入った。
ここからは東海道の 2 つある関所のうちの 1 つである、新居の関が存在していた旧新居町である。なお、日が暮れてきたため、関所跡にいく余裕はなかった。
そのまま旧東海道を進んで海岸に近づき、潮見坂を登った。それほどキツくはなかったが、⻑距離を逆風と格闘したため疲労困憊状態で、なんとか登った。
坂の上は白須賀宿があった場所である。
そして、静岡県に入ってから一日半してついに静岡県の横断を完了し、愛知県豊橋市に入った。鈍行列車のみで東京から京都に帰省したことがあるが、その中でも静岡県を通過する時間の⻑さは別格である。その⻑さを自転車でも嫌と言うほど体感した。
県境付近でようやく自転車が通れるようになった国道 1 号線に合流し、先に進むと、暗い中ではあったが、二川宿のあった地を認識できた。
そして豊橋市街に着き、ようやく本日の宿に着いた。ビジネスホテルである。この日は逆風に苦しめられ、この旅で最も大変な一日であった。
4日目に続く