市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

自転車で実家に帰ろう!東京から京都へ至る旅③(静岡県静岡市〜愛知県豊橋市)

3 日目:静岡静岡市〜県豊

走行:126 km

ゲトハウから出発し、市街から静岡市街に入っていった。前日にき続きでなかなかが出ない。途中、私静岡鉄道と走した。

さすが 70 るだけあって立派なビル街が存在した。静岡駅は国道1号線(バ イパではない方)のにあるので、寄り道ずに見ることができた。

駅前にはもあった。静岡駿ばれ、が年に本地とした場所である。

からしばらく走ると、安倍川に着いた。安倍川もなかなかの川だが、回渡った下流はかなり土が堆積しており、いくつかのい流れにかれていた。

川を渡ると上り坂となり、東道の宿があった子を通過した。ちなみに回、東道を自車で辿うということで、東道の五十三宿のあった地になるべく立ち寄るようにしている。

 

100 m までのぼって宇津ノ谷峠のトンルをえ、市に入った。

坂を下る途中に宿宿を通った。大名が宿泊に利した本の建物など、さまざまな建物がっていた。

坂を下り、田畑と住宅が混在する道を行き、市街に着いた。市も10 人以上ある比較きな都市である。静岡県にはこのような市がかなり多くある。さすが、東道の通り道として栄えた地である。

島田市に入り、ひたすら住宅が立ち並ぶ道を走った。そしてそのまま島田市街に入った。なお、回はあまり市町村の中心駅には寄れていない。ぜい、駅の方す標すくらいだ。

島田市の中心部からなくして川に到達し、を渡った。こちらも安倍川と、川は広いが、いくつものい流れにかれていた。

川を渡り、谷町(島田市)に入った。

市街地を過ぎると、すぐに東道の大難所にげられる日坂(もしくはの中山)に入った。がりくった上り坂を上り、一下って川をえ、再び上って標180 m 地のトンルをけると下り坂となった。途中、静岡県が産量るチ栽培する畑も存在した。

トンルの前で川市に入った。トンルをえ、下り坂に入ってなくして日坂宿を通過した。こちらも時代の面を感じる街みであった。

坂を下り切って川市街に入った。チッと川城も見えた。土佐藩としてられる山一豊などの城だった場所である。ここまででかなり消耗していたた、ここらでチェーンの食店に入り、をとった(普段ンビでってますことも多い)。

川市街を出て、袋井市に入った。少し走ってすぐ袋井市街に入った。

田市に入り、少し坂を上り下りして田市街に入った。時代には見という地であり、見宿があった場所である。

なおも下って豊田を通過し、⻯川を渡った。⻯川は静岡県を流れる川でく、県の諏訪湖がである。川に広かった。

⻯川を渡りえると松市に入った。松市は県所在地の静岡市を上回るし、80 近くが住んでいる。市のにある浜名湖でてられる養殖ナギで有名である。

次第に街が華やいでいき、松市の中心部に入した。市街地の中でも道がかなり広く、走りやすかった。

松市街をけ、東道の宿だった舞阪に入り、そして浜名湖岸に到達した。そしてを渡って、浜名湖の中に存在する島である、弁天島に着いた。

この弁天島は大学でれ、日を過ごしたい出の場所である。当時かしみながら、上をを渡り、湖市に入った。

ここからは東道の 2 つある所のうちの 1 つである、新居が存在していた新居である。なお、日がれてきたたにいく余裕はなかった。

そのまま道を進んで岸に近づき、見坂をった。それほどキツくはなかったが、⻑距離を格闘したため疲労困憊で、なんとかった。

坂の上は白須宿があった場所である。

そして、静岡県に入ってから一日してついに静岡県の完了し、県豊市に入った。車のみで東京から京都に帰省したことがあるが、その中でも静岡県を通過するさは別である。そのさを自車でもと言うほど体感した。

近でようやく自車が通れるようになった国道 1 号線に流し、に進と、い中ではあったが、宿のあった地を認識できた。

そして豊市街に着き、ようやく本日の宿に着いた。ビジネスホテルである。この日はられ、このでな一日であった。


4日目に続く