市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

鎌倉幕府の執権「北条氏」の故郷を訪ねよう!〜伊豆半島北部を巡る旅(神奈川県小田原市〜静岡県伊豆市〜静岡県三島市)

2018年7月8日

神奈川県小田原市静岡県伊豆市静岡県裾野市静岡県三島市 100 km

2018年3月以降はこれまで近場でしか自転車に乗っていなかったが(いずれまとめて載せる予定)、今回は久しぶりに関東を飛び出し、伊豆半島を巡ることになった。

 

まず小田原駅まで輪行し、小田原駅で自転車を組み立て南へ進んだ。熱海まではすでに通ったことがある道で、スムーズに進んだ。基本、海岸線の起伏があまりない道を進むが、熱海市に入ったあたりからアップダウンが激しくなるのでそこは注意である。

 

熱海市街を抜けてから未知の領域である。伊豆半島は山がちな地形で、海岸線にも山が迫っている。そして山と山の間に小規模な平野があり、そこに街が存在していることが多い。熱海市内においても、いくつかの坂とトンネル、集落を抜けてから伊東市に入った。

伊東市に入って二つ目の平野に伊東市街は存在する。その入り口では海岸と国道が近接しており、海と伊東市街の遠望を同時に見ることができる。

伊東は他の伊豆半島各地と同様、温泉地として有名であり、関東からのアクセスが良いこともあり、リゾート地として栄えている。伊東駅や市街地には多くの人が歩いている上、所々ヤシの木が植わっており、南国感を味わえた。

伊東からは府道12号を辿る形となる。具体的には伊東大川を南へ遡った後、西に曲がって山を登っていく形になった。ただ、標高300 mほどでトンネルがあり、峠を抜けられるので、伊豆半島の中では比較的楽な山越えとなる(また、そのような峠を今回は選んだ)。

トンネルを抜けると伊豆市だが、あいにくカントリーサインはなかった。仕方ないので伊豆市の文字がある看板を撮りつつ坂を下りた。

伊豆市は平成期に4つの町が合併してできた市である。最初に入ったのは旧中伊豆町であり、坂を下っていくと中伊豆市街に行き着いた。

下り基調の府道12号をさらに進むと旧修善寺(しゅぜんじ)町となり、修善寺駅にたどり着くことができる。

修善寺伊豆半島の中でも特に有名な温泉地である。修善寺の温泉街は駅から西に1、2 kmほど離れた谷間の地に存在する。せっかくなので足を運んでみた。

修善寺温泉はやはり有名観光地なだけあって人で溢れかえっていた。多くの温泉宿の合間には、修禅寺(下の写真)など、寺や神社が存在し、歴史的な雰囲気があった。

さらに、少し奥の方には源範頼源平合戦時の大将)や源頼家鎌倉幕府第二代将軍)など、修善寺の地で亡くなった鎌倉幕府関係の人物の墓がある。歴史マニアとしてはたまらない地である。

修善寺を後にして北上し、伊豆の国市に入った。

伊豆の国市は3つの町が合併してできた市であり、韮山反射炉などの観光地が存在する。

何より、同市の旧韮山町付近は鎌倉時代に執権として鎌倉幕府の実権を握った北条氏(北条政子北条義時北条時宗などを輩出)の発祥の地および幕府確立前の本拠地として有名である。

その面影か、現在まで北条という地名が残っている。

また、北条氏関連の遺物も多い。下の写真の井戸は鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の妻であり、尼将軍と呼ばれた北条政子が産まれた際に産湯として用いたと伝わっている。

他には源頼朝挙兵の地と言われる守山八幡宮、初代執権で北条政子の父である北条時政の墓などがある。北条氏邸の跡もあるが、看板は立っているものの、特に何か建造物があるわけではなかった。北条氏の事績を思い浮かべつつ、ゆかりの地を巡ることができ、ひとときの充足感を味わった。

ちなみに、この地には堀越御所という、室町幕府が一時期東国支配の拠点とした場所でもあったらしい。北条氏の故地と被ったのは果たして偶然なのだろうか。

北条の里を堪能した後はなおも北上し、三島市に入った。三島市三島大社など良い観光地が多いが、市街地は一度訪れたのでじっくりとは見なかった。

その後、なおも北へ向かい、裾野市に入った。名前の通り、富士山に近い街である。

裾野市に入って3 kmほど走ると早くも裾野市街に入る(とは言っても三島市から割と家屋は連続して存在する)。裾野駅はどうやら工事中のようだった。

裾野市から南下して三島市に戻り、三島駅輪行にて自宅へ帰った。今回は歴史への興味を掻き立てられる、非常に満足度の高い遠征だった。

 

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今回の制覇市町村:静岡県伊東市伊豆の国市裾野市

 

制覇状況:178/1,718