市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

日本三大神宮の一つ「鹿島神宮」に行こう!(東京都豊島区〜茨城県鹿嶋市〜千葉県香取市)

2018年7月21日

東京都豊島区〜茨城県鹿嶋市〜千葉県香取市 112 km

今回は千葉県と茨城県の境付近の地域「ちばらぎ」に属する市町村を制覇しつつ、茨城県の二大湖「霞ヶ浦」「北浦」を通って、伊勢神宮香取神宮と共に日本三大神宮の一つと言われる鹿島神宮に至る旅である。

 

東京から東に向かい、千葉県に入った。すでに制覇した市町村を通りつつ、印西市に至った。ここから一度目の利根川の渡河を行い、茨城県利根町、ついでその東の河内町に入った。これら二町は利根川の北岸に位置し、平成の大合併で大幅に数を減らした町村の中でも数少ない生き残りである。

府道にしては狭い田舎道をなおも東へ走っていくと常総大橋にぶつかった。この橋を渡って本日二度目の利根川渡河を行い、再び千葉県に入った。市町村としては成田市である。

これ以降は利根川の堤防上にあるサイクリングロードを走っていく。程なく、神崎(こうざき)町に入った。この町も近隣の市への合併を免れた町である。

なおも堤防上を走ると香取市に入った。堤防上からはカントリーサインが見えなかったので並走する国道に降りて撮影した。

香取市には今回の目的地、鹿島神宮と同様に日本三大神宮に数えられる香取神宮が存在し、その他にも水郷「佐原」の街並みなど、見どころが多い。ただし、今回はその先が目的地なので香取市は通り過ぎるのみとした。

佐原市街(もしくは香取市街)の手前で水郷大橋にぶつかったので、それを用いて3度目の利根川渡河を行った。そして再び茨城県に入った。市町村としては稲敷市である。稲敷市は平成に町村が合併してできた市であり、今回通るのは旧東町となる。市役所のある旧江戸崎町からはかなり離れている。

国道51号に合流し、逆風に耐えながら田んぼの広がる平地を走り、霞ヶ浦利根川をつなぐ常陸利根川を渡って潮来(いたこ)市に入った。

ここから霞ヶ浦の湖岸を北上するとすぐに行方(なめがた)市に入るので、少し寄り道して行方市カントリーサインを撮りに行った。行方市霞ヶ浦と北浦に挟まれた地にあり、こちらも平成期に複数の町村からできた。行方市潮来市、神崎町といい、ここら辺は地味に難読市町村が多い。

せっかくなので霞ヶ浦湖畔まで降り、霞ヶ浦の景色を観た。日本で二番目に大きい湖だけあって、対岸はほぼ見えないくらい広がりを有していた。また、この辺りは水質も綺麗であるようだった。

再び潮来市に戻り、潮来市街に至った。佐原同様、潮来利根川水運を生かして川港、水郷として栄えた町であり、往時の面影を持つ古い街並みだった(あいにく、写真を撮り忘れた)。潮来駅にも寄った。

なおも国道51号に乗って東へ進むと、程なくして北浦にぶつかる。北浦は細長い湖であり、国道51号とぶつかる地点は幅1kmほどである。従って橋の中では珍しい、湖上橋が対岸に向かってかかっている。

橋の上に上がると、欄干が朱色になっていた。朱は古来より日本で尊ばれた色であり、神社の鳥居も朱塗りであることが多い。その朱塗りの鳥居も遠くの対岸に見えた。鹿島神宮が近いことがわかる。

橋を渡り終えると鹿嶋市に入った。その名の通り、鹿島神宮のある市であり、サッカークラブ「鹿島アントラーズ」の本拠地、鹿島サッカースタジアムがあることでも有名である。

なおも2kmほど東行して、ついに鹿島神宮に到達した。

鹿島神宮は初代天皇神武天皇元年に創建したと伝わる由緒ある神宮であり、のちに藤原氏が派生する中臣氏との関わりも深い。実際訪れると、大鳥居付近だけでもその荘厳な雰囲気に圧倒された。歴史の積み重なりがそのような雰囲気を醸成しているのかもしれない。時間がなかったので拝殿までには行かずに神宮を去った。

その後、南下して神栖市に入った。この市も平成期に新しくできたが、多くの企業が工場を構えたことで栄え、現在では人口9万人ほどが住んでいる。国道にもそれが現れており、多くのチェーン商業施設が店を構えている。

その後、日が暮れてきたので、南下して本日四度目の利根川渡河をし、千葉県香取市に舞い戻った。とは言っても、中心部(佐原)ではなく、旧小見川町の領域である。そのまま小見川駅輪行し、東京へ帰った。

-------------

今回の制覇市町村:茨城県利根町、河内町、稲敷市潮来市行方市鹿嶋市神栖市、千葉県神崎町、香取市

 

制覇状況:187/1,718