2018年2月3日
今回は日本史の教科書にも出てくる「日本最古の大学」と言われる足利学校を訪いつつ、群馬県の桐生市、みどり市の制覇を目指した。
自宅から埼玉県に入り、ひたすら北上すると制覇済みの加須(かぞ)市に入った。前回は北辺を通ったのみだったが、今回は加須駅含めた市街地にも行くことができた。
続いて羽生(はにゅう)市に入った。ここからが未踏破市町村である。
埼玉の北辺の市だが、駅舎は立派で、市街地も新しい感じがした。
その後、大河の利根川を渡り、群馬県明和町に入った。明和町を2 kmほど進むとすぐに館林市に入った。これらの市町村は群馬県の形で言うと、いわば突き出た尻尾の位置に存在する。
館林市は江戸時代、館林藩の城下町として栄えた。徳川四天王の榊原康政や、のちに将軍となる徳川綱吉が領主だった地である。現在も東武鉄道で東京と接続しており、以下の写真のように、かなり栄えているようだった。
その後、栃木県足利市に入った。一度訪れたことがあるため、カントリーサインは取っていない。しかし、下の写真の足利駅をはじめ、足利市の中心部に行くのは初めてであった。
足利市はその名が示す通り、室町幕府を建てた足利氏発祥の地であり、鎌倉時代までの足利氏の本拠地である。そのためか寺社などの名所、旧跡が多く、看板でも「歴史都市」というアピールをしていた。
その中で最も有名なのが、足利学校である。足利学校は室町時代に関東管領(関東地方のNo.2)の上杉憲実が整備した高等教育機関であり、儒学や兵学、医学などを武士に教えた。足利駅から近い位置にあるこの史跡に私も訪れてみた。学校の門は当時の趣を残していた。
中には室町幕府の初代将軍、足利尊氏の像もあった。室町時代の当時にもあったのかもしれない。
さらに、足利学校の周辺にある鑁阿寺にもよった。鎌倉時代初期に足利氏の邸宅があった場所である。
その後、渡良瀬川に沿って北西に進むと、程なく足利市を出て再び群馬県に入った。市町村としては桐生市となる。
桐生市は山がちではあるものの人口10万人以上を有する都市である。少し坂を登りつつ、市街地に着くことができた。駅がかなり立派であった。
その後渡良瀬川を渡って西南に移動し、みどり市に入った。今では珍しく無くなったひらがなの市である。桐生市からみどり市にかけては住宅街が連続しており、両市の強い結びつきを感じた。
その後、西南に走り続け、伊勢崎市の伊勢崎駅で輪行にて帰った。
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今回の制覇市町村:埼玉県羽生市、群馬県明和町、館林市、桐生市、みどり市
制覇状況:175/1,718