市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

歴史あふれる街「結城」に行こう!(茨城県つくば市〜筑西市〜栃木県小山市)

2019年4月6日

茨城県つくば市筑西市〜栃木県小山市 52 km



今回は茨城県の西部の市を巡りながら、歴史ある城下町、結城を目指した。

 

つくば駅でおり、まずは一度行ったことのあるつくば植物園を再訪した。学園都市にある植物園だけあって、植物の種類が多いことに加え、知的好奇心をそそられる植物もある。

例えば、この写真の植物はイワヒバといい、進化上シダ植物とコケ植物の中間地点で分岐した「ヒカゲノカズラ植物門」に属す。ヒカゲノカズラ植物門は馴染みのない植物が多く、なかなか自然界では見ることができないので、大変興奮した。

また、この植物はミツガシワという水生植物で、元々リンドウ科という割とメジャーな科に属していたが、近年の分類再編でミツガシワ科として独立した。かなり特徴的な花の形をしている。

植物園を出てつくば市を走っていくと、筑波大学高エネルギー加速器研究機構など、学術都市の名に恥じない様々な学術機関が存在した。前者は国立の難関大学であり、実際見てみるとかなり広い敷地を有していた。後者は電子や陽子などの粒子を加速させて正面衝突させるための機械である加速器を有し、基礎物理の研究において大きな役割を果たす機関である。

つくば市のあった台地を降りてしばらく進むと下妻市に入った。

まず地図上で気になっていた下妻駅からすぐの地にある砂沼を訪れた。沼とはいうが非常に澄んでおり、シーズン中の桜の花も相まって映える景色だった。ここでしばらく休憩した。

東へ引き返し、下妻駅に至った。どうやら花の街という触れ込みであるようだ。国蝶であるオオムラサキをモチーフにしたというマスコットキャラクターのシモンちゃんも駅前の看板に書かれていた。なお、性別は不明とのこと。

また、駅近くには多賀谷城という戦国時代、下妻一帯を収めていた多賀谷氏の本拠地だった城跡があった。

田んぼ道を北上し、筑西(ちくせい)市に入った。下館市と周辺の町が合併してできた市で、古くは城下町だった地である。

下館駅近くには一見商業施設に見える市役所があった。10万近い人口を有するだけあって、周囲の市町村の中では最も栄えているようだった。

西へ進むと再び田んぼが広がる風景となり、結城市に入った。

程なくして結城市街に入った。結城は城下町であるとともに、結城紬という伝統的な絹織物が伝わっており、歴史を感じさせる街並みが保存されていた。

駅から少し北には結城朝光の墓があった。結城朝光は結城一帯を領地に持って小山氏より独立した人物で、結城氏の祖である。源頼朝に付き従って源平合戦を生き残り、鎌倉時代に入ると幕府の政局を左右する人物にまでなった。現在も地元で愛されているようである。

その結城朝光が築城した結城城は、城跡として今も面影をとどめている。鎌倉時代から戦国時代末期に徳川家康の次男、秀康に(結果的に)乗っ取られるまでずっと結城氏の居城であり、室町時代の結城氏朝が反乱を起こした際には難攻不落の城として足利幕府方の鎮圧軍に抵抗した(結城合戦)。

そしてなおも西へ進み、隣県ではあるものの古来から現代に至るまで結城市と何かと関係が深い栃木県小山市に入り、小山駅輪行して帰宅した。

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今回の制覇市町村:茨城県下妻市筑西市結城市

制覇状況:218/1,718

 

ちょっとお出かけアラカルト(4)

①2018年3月3日

東京都豊島区〜千葉県浦安市〜東京都豊島区 45 km

今日は千葉県の中で東京都に隣接した場所にあり、東京ディズニーランドがあることでも有名な浦安市を訪れた。

東京駅を通って新木場付近まで南下し、その後海岸線に沿って西に進むと旧江戸川を渡り、早くも浦安市に入った。ちなみに浦安市は旧江戸川と江戸川に挟まれており、本土とは隔絶されている。

浦安市に入ってすぐにディズニーランドの最寄駅である舞浜駅を見ることができた。走ってきた道から見て、駅の向こう側にディズニーランドがあるようだ。

その後、北上して住宅街を通りつつ浦安駅に至った。商業化した海岸部はともかく、内陸側に入れば一般的なベッドタウンであるようだ。

その後は再び旧江戸川を渡り、東京に戻った。

 

②2018年4月14日

神奈川県相模原市清川村相模原市 48 km

前日に神奈川県相模原市(踏破済)在住の友達の家に泊まった後、丹沢山付近にある2町村の制覇を試みた。

相模原の市街地から西南に進み、相模川を越えると愛川町に入った。そこから標高差60 mほどの小さな坂を上りきると愛川市街に到達した。山間にある中規模の街といった出立ちであった。

愛川市街を抜けると一旦坂を降り、その後中津川という小川に沿って西北に進み、半原という地に至った。そこからは西に向かってひたすら坂を登った。長坂の後半に存在するトンネルを抜けつつ標高350 m付近に至ると上り坂は終わり、宮ヶ瀬湖というダム湖に至る。ちなみに、ここら辺で清川村に入るはずだが、カントリーサインはなかった。

湖には大層な橋がかかっていた。宮ヶ瀬湖周辺は今まで知らなかったが、なかなかの秘境具合で個人的には大変面白い地であった。

その後、北上して下り基調の道を走り、相模湖に至った。今回は相模湖駅輪行し、帰宅した。

 

 

③2018年5月12日

東京都豊島区〜千葉県山武市 72 km

今回は千葉県外房の街、山武市を目指した。

千葉県船橋市まで既知のルートを通り、その後県道69号を用いて四街道(よつかいどう)市に入った。

千葉市に隣接するベッドタウンなだけあって、駅付近もマンションが立ち並ぶ現代的な街並みであった。

その後、以前周縁部をかすめた八街(やちまた)市の市街に至った。市街周辺は生産量日本一のピーナッツなどが栽培されている畑地が多かったが、市街は四街道同様、活気のあるベッドタウンという印象だった。

八街市街のあたりまでは上り基調だったが、そこからは徐々に下っていった。途中、山武(さんむ)市に入った。

やがて中心部の旧成東町の市街に至った。ここまでくると街の出立ちはベッドタウンよりも地方都市という感じであった。成東駅輪行して帰った。



④2019年2月10日

神奈川県秦野市ヤビツ峠清川村相模原市  51 km

この日は自転車やバイクの「聖地」とも呼ばれるヤビツ峠を攻略した。ヤビツ峠丹沢山中にある標高761 kmの峠であり、秦野市からは距離12 km、最大斜度12%、平均斜度6 kmと程よくキツい道のりのため、自転車でのヒルクライムスポットとしては関東随一の人気を誇る。

今回は体調がすぐれなかったのもあり、途中で足をついてしまったが、なんとか最後まで登ることができた。

ヤビツ峠を越えてからなおも北上していくと清川村に入った。今回はカントリーサインも視ることができた。

峠からの狭隘な道を20 km進み、約1年ぶりの宮ヶ瀬ダムに至った。そこからは前回来た時と同様、同様、相模湖駅まで行き、輪行にて帰った。

 

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今回の制覇市町村:千葉県浦安市四街道市山武市、神奈川県愛川町清川村

制覇状況:215/1,718

 

伊豆半島を1泊2日で半周しよう!(神奈川県小田原市〜静岡県南伊豆町〜静岡県沼津市)

2019年2月16-17日

神奈川県小田原市静岡県南伊豆町静岡県沼津市 224 km

今回はかねてから行おうと思っていた伊豆半島一周(通称イズイチ)を試みた。しかし、2日目に時間が足りなくなったため、箱根峠越えを諦め、結果的に半周となった。それでも、200 km以上あり、獲得標高も合計3,000 mほどのかなりハードな道のりである。一方で、信じられないほどの美しい景色に出会うこともできた。

 

 

1日目

神奈川県小田原市静岡県下田市 89 km

小田原駅から自転車を組み立て、南下して静岡県に入り、熱海市に入った。この時点で伊豆半島に入ったと言って良い。伊豆半島突入後、なおも南下し、熱海市街を通り過ぎて伊東市、そして伊東市街に至った。ここまでは走ったことのある道ではあるが、この時点で数回小規模な坂の上り下りを行なっている。

伊東市街から再び坂を登り、標高240 mほどの峠を越えた後、別荘やペンションなどが立ち並ぶ伊豆高原エリアに入る。その後下りに転じて再び海岸線に合流した。

海岸線に復帰してすぐに東伊豆町に入った。

ここら辺は温泉街が多く、北川温泉、ついで稲取温泉の温泉街を通過した。その間には100 mほどの峠を2つほど越えたりトンネルを通ったりしつつ、日暮れを迎えた。ちなみに、稲取温泉街は東伊豆町の中心地でもある(下の写真真ん中に見える半島部が稲取温泉街と思われる)。

その後、河津町に入った。程なく河津市街に入り、そこを出た後は登り基調となった。100 mほど登って下田市に入った。ただ、暗過ぎてカントリーサインは上手く撮れなかった。

その後下りとなり、白浜海岸に到着した。この日はここで予約した旅館に泊まり、1日目は終了した。

 

2日目

静岡県下田市静岡県沼津市 135 km

2日目は出発の前に、旅館の近くの白浜海岸に立ち寄った。名前の通り白砂が生える砂浜であった。白浜海岸近くにも別荘やペンションなどが立ち並び、シーズンには海水浴などを楽しむ観光客も多いことが予想できた。

白浜海岸から出発し、下田市街の手前にある漁港で朝ごはんをとった。金目亭という海鮮定食屋で、朝定食のアジのたたき丼を食した。リーズナブルな値段で新鮮なたたきを堪能できた。

朝食後、稲生沢川を越えて下田市街に入った。下田は山に囲まれた小さい平地に発展した街で、古くより港町として栄えた。幕末のペリーの黒船来航によって鎖国が解かれた時、開港した地としても有名である。

せっかくなので、少し下田の街を探索した。開港後にペリーが立ち寄ったこともあり、ペリー上陸の碑やペリーロードなど、ペリーにちなんだ地が存在する。ペリーロードは古くからの街並みを残す景勝地として有名である。

下田市街を出て2つほど小さな坂を越えると南伊豆町に入る。伊豆半島最南端の街である。昨日撮れなかった下田市カントリーサインも撮ることができた。

南伊豆町に入り、坂を下りきると想定してなかった景色が舞い込んできた。菜の花畑である。後で調べると伊豆半島でも人気のスポットであるようだった。2月中旬なのにもう一面に花が咲いているとは、ここら一帯は温暖な気候なのであろう。

ここで伊豆半島の最南端に向かうため、一旦国道に別れを告げ、府道に入って南下した。川に沿って進むと再び海岸地帯になった。川向こうにはこれも景勝地として有名な弓ヶ浜が見えた。

磯浜を左手に見つつ、西南西へ向かうと、ついに半島最南端・石廊崎の看板が見えた。本来の石廊崎はここからさらに1 km近く南へ歩道を進む必要があるが、これからの旅路の困難さを知っていたので、自重した。

その困難は石廊崎の看板地点から程なくして早速襲来した。海岸線の平坦な道からいきなり急坂が始まり、一気に標高100 mほど上った。上った先から海を見下ろすことができ、なかなかの絶景であった。

北上し、国道に再合流してからも上り下りは延々と繰り返されていく。この、伊豆半島西部に入って序盤の道が半島半周における正念場である。コンビニや自販機はもちろんなく、事前の補給が大事となる。

標高にして140 mほど上り、一旦下って漁港に到達し、少し上って再び漁港、その後は急坂をだらだら上って少し下り、また急坂を上る、ということを繰り返していった。そうして標高300 m近くに到達すると、松崎町に入った。

松崎町に入ると一気に下り、一旦海浜に至るが再び上り、以降は海岸線の崖を縫うようにして細かく上り下りしていく。ここら辺が今回の旅で最も美しかった場所であり、崖下のエメラルドブルーが混じった海が非常に印象深かった。

やがて当エリア最後の坂を下っていくと、眼下に松崎市街が見えてきた。

松崎市街はなまこ壁と言われる独特の壁塗り様式を有する建物が並ぶ街並みで知られている。また、温泉、海水浴場などもあり、アクセスが難しいことが難点だが、これまで通った崖海岸も含め、伊豆半島に行くならぜひ訪れるべき街である。

ここからはしばらく平坦な道が続いた。松崎市街を抜けると程なくして西伊豆町に入った。

西伊豆町市街にはそこから1 kmもせずに到達した。西伊豆町も市街地から少し北に存在する堂ヶ島を中心に観光地が点在する。堂ヶ島では海岸洞窟など、さまざまな景勝地を見ることのできる遊覧船に乗ることができるが、流石に時間がないのでスルーした。

その後再び坂を上り、標高100 mに達した後は上り下りが細かく連続する。一旦宇久須という地で平坦となるが、再び上り坂と下り坂の連続となる。その間に伊豆市の旧土肥町に入った。また、そのすぐ先には恋人岬という、その名の通りの恋愛スポット兼景勝地が存在する。

土肥市街でまた平坦となるが、ここで内陸部へ曲がっていく国道とは訣別し、今旅2つ目の難関地点に入る。曲がりくねった道を一気に登り、その後は細かな上り下りを繰り返しながら標高300 m付近まで到達する。何より、今までの道と違い細くて路面状況も悪いため、注意して進む必要があった。なお、途中で伊豆市から沼津市に入った。

その後、一気に急坂を下っていき、戸田(へだ)の港町に至った。周辺の海が深いため、深海魚が水揚げされる漁港である。ここはしばらく平坦な道のりである。

その後再び同じような曲がりくねった道を少しづつ登っていき、再び標高200 mにたっする。この殺しにかかっているとしか思えない道のりは、大瀬崎へ下っていくとようやく終わる。

その後は平坦な海岸線を25 kmほど進むと、伊豆半島の付け根の町、沼津市街に至る。この後、三島市に行って箱根を越え、小田原に再び至る予定だったが、流石に余力と時間が残っていなかったため、ここで終了とした。

 

山がちな地形だけあって、かなり過酷な道のりであった。だからこそ、旅を終えた後は歴代上位の達成感があった。次の機会があれば今度こそ一周を達成したい。

 

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今回の制覇市町村:静岡県東伊豆町河津町下田市南伊豆町松崎町西伊豆町

制覇状況:212/1,718

山梨県西部に広がる甲府盆地を半周しよう!(山梨県甲州市〜南アルプス市〜甲府市)

2019年1月5日

山梨県甲州市南アルプス市甲府市 77 km

今回は山梨県西部の国中地域と呼ばれる富士川流域に広がる甲府盆地を半周し、そこに点在する市町村を攻略した。

甲府盆地の東端である甲斐大和駅甲州市)で電車を降り、前回の訪問が日没後だったため、ゆっくり景色を見れなかった甲州市、山梨市の市街を通った。いずれも人口の割には商業施設なども多く、栄えているようであった。

続いて笛吹市に入った。笛吹市には石和温泉という一大温泉街があるほか、フルーツの里として有名である。特にモモの生産量は多く、4月上旬には近くの甲州市、山梨市、甲府市と共に、モモの花が咲いた景色が辺り一面に広がっており、私のお気に入りの景色の一つである(写真中、下、これは今回とは別の機会に訪れた時のもの)。

県庁所在地の甲府市の市街地南をかすめた後、昭和町に入った。甲府市近郊だけあって、昭和町イオンモールを中心に栄えている。

西南方面に進み、中央市に入った。平成期に3町村が合併してできた市で、昭和町同様、甲府市ベッドタウンの役割を果たす。

続いて真南に走り、市川三郷町、ついで西南に曲がって市川三郷市街に入った。

ちょうど二つの川が合流して富士川となる地点で橋を渡り、富士川町に入った。ちなみに、同じく富士川沿いに富士川町という同名の町が以前存在したが、そちらは静岡県に属している。

富士川町役場を過ぎた頃から日が傾き始めた。

富士川町からは北上し、軽く坂を上り下りした後に、南アルプス市に入った。現在、日本で唯一のカタカナが入った市である。文字通り、南アルプス赤石山脈)の東麓に広がる街である。

市街地はかなり新しい街並みであるように感じた。

そのまま北上して韮崎市に入った。甲府以北の甲府盆地で中心となる市である。

韮崎駅に着いた。すっかり暗くなり、駅舎にイルミネーションが映えていた。

この後は東南に道をとり、盆地の底へ下っていった。途中、甲斐市に入った。

そして甲府市甲府駅に入り、本日は終了とした。

 

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今回の制覇市町村:山梨県昭和町中央市市川三郷町富士川町南アルプス市韮崎市甲斐市

 

制覇状況:206/1,718

茨城のサイクリングロード「つくばりんりんロード」を走ろう!(茨城県土浦市〜茨城県ひたちなか市)

2018年12月22日

茨城県土浦市茨城県ひたちなか市 103 km

これまで、私の自転車旅は国道や府道など、車道を走ることが多かった。しかし、車道は車との接触事故の危険性を常にはらむ。そこで、自転車、徒歩専用のサイクリングロードを今回は走ってみる。選んだのは土浦市から桜川市の約40 kmを繋ぐ、つくばりんりんロードである。この道は鉄道の廃線跡を利用しており、廃駅舎も沿線にあるとのことで、その点も興味がもたれた。

と言うことで、すでに制覇済みの土浦市土浦駅からスタートした。

つくばりんりんロードの入り口は土浦駅からすぐの場所にあるので、早速りんりんロードに突入した。ルートは以下の看板の通りである。筑波山の麓をよぎりつつ、北へ向かう道である。

早速、廃駅の駅舎を見つけた。現在は休憩所として使われている。

つくば市に入ると、小田という地域になる。ちなみに、つくば市入りを示すカントリーサインはなかった。

小田には小田城跡がある。小田城は、鎌倉時代から戦国時代にかけて強盛な勢力を誇った大名、小田氏の拠点である。天守閣はないが、堀や盛り土は残っており、かなり大きな範囲にまたがった城であったことがわかった。

小田城跡近くには小田城跡歴史ひろば案内所という施設があり、小田城や小田氏に関する史料などが展示されている。小田氏の歴代当主を説明した看板もあり、興味深い場所であった。「最も弱い戦国大名」「不死鳥」と言われ、一部の戦国時代マニアに人気の小田氏治の説明と肖像もあった。これらの異名は、本拠の小田城を何回も落とされたがその度に奪い返したことに由来する。

その後りんりんロードは広い田園地帯に入り、前方に筑波山が見えてくる。筑波山は標高900 mくらいの独立峰であり、都心から近く、程よい標高の山ということで、登山客で賑わっている。りんりんロード周辺からも登山口があり、そこから登ることができる。

りんりんロードは一旦府道に合流し、その間に桜川市に入った。

その後再び府道からりんりんロードが枝分かれし、自転車、徒歩専用区間に戻る。途中、重要文化的景観にも登録されている真壁の街並みの近辺を通ったが、当時は気づかず、素通りしてしまった。

やがてりんりんロードは岩瀬駅に達し、終点となった。通った感想としては、ところどころいい景色の場所があり、路面も走りやすかった。しかし途中、信号がない車道を横切る場合があり、その時は一時停止する必要があるため、高速での通過には向いていないと感じた。

岩瀬駅から府道を北上すると、国道50号にぶつかる。今度はこの道を東に曲がり、水戸方面へ向かう。

少し坂を登り、笠間市に入った。

ここで国道50号を一旦離れ、笠間市街へ向かう。笠間市笠間市友部町岩間町の3つが合併してできたが、現在の市の中心部は県庁所在地の水戸に近く、交通の要所でもある旧友部町であり、笠間市役所もそこに存在する。ただ、旧笠間市の市街部は古くから笠間稲荷神社門前町として栄え、今の市街もその趣が残っている、興味深い町である。

せっかくなので、笠間稲荷神社にも寄って見た。こじんまりながら、威厳のあるいでたちだった。

笠間市街からは旧友部町を通り、水戸市に入った。

水戸市に入った直後に再び国道50号と合流し、一気に水戸市街へと向かった。県庁所在地だけあって、ビル、商業施設が多く、かなり栄えているようだった。

続いて、南東に進路をとり、大洗町を目指した。5 kmあまり進むと大洗町に入った。

大洗町に入って程なく、大洗駅に到達できた。大洗は現在に至るまで首都圏の外港として栄えており、北海道行きのフェリーも存在する。観光業も盛んで、水族館、海水浴場や、あんこう鍋などの郷土料理など、観光資材が豊富である。最近は「ガールズ&パンツァー」というアニメの舞台となり、聖地巡礼スポットとしても有名である。

大洗市街を通過し、大洗港付近まできたところで日が暮れた。仕方ないので、真っ暗な海岸線をひたすら北上して行った。

那珂川の河口付近を跨ぐ橋を渡り、ひたちなか市に入った。ひたちなか市は二つの市が合併してできた市で、現在入ったのは旧那珂湊市である。これから、西北に向かい、中心地である旧勝田市街へ向かう。

そしてついに勝田駅に達し、輪行にて帰った。

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今回の制覇市町村:茨城県桜川市笠間市水戸市大洗町ひたちなか市

 

制覇状況:199/1,718

 

富士山を一周しよう!〜富士五湖や樹海を巡る旅②(静岡県御殿場市〜山梨県富士河口湖町〜静岡県御殿場市)

前編からの続き

 

2018年11月24日

静岡県富士宮市御殿場市 36 km

富士宮市のスーパ銭湯で一泊し、朝早くに出発した。

 

まずは富士宮市街地を北に向かった。富士宮市はその名の通り、古くは富士山本宮浅間大社門前町として栄え、今も人口10万人ほどを有す。この日は快晴だったため、市街地からも富士山はよく見えた。

その後、国道469号線に合流して東行した。この後は富士山と標高1500 mの愛鷹(あしたか)山の間をすり抜けていく道となり、自然、勾配に富んだ道となる。少し下りもありながら、基本的に険しい勾配の上り坂を登っていった。標高920 m付近で下りに転じ、今度は急坂を一気に降っていった。国道469号線に入ってからここまでは、時折開けた場所に出るも、ほとんどが森の中であった。ちなみに、途中には動物園である富士サファリパークがあり、その付近の分かれ道を北上すると富士山登山口(富士宮口)に至る。

なおも坂を下っていくと、急に眼前が開け、ススキの群生が出現した。富士山とススキのコンストラクトが見事で、しばらく目を奪われた。これは全く予期していない景色であり、今回の旅で一番感動した。

ススキの群生林はかなり広く、御殿場市に入ってもしばらく続いた。

そして、再び御殿場市街に到達したことで、富士山一周を達成した。この後は小山町カントリーサインを撮りつつ、神奈川県に入り、新松田駅まで走って輪行にて帰宅した。

 

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今回の制覇市町村:山梨県富士河口湖町静岡県富士宮市

 

制覇状況:194/1,718

 

富士山を一周しよう!〜富士五湖や樹海を巡る旅①(静岡県御殿場市〜山梨県富士河口湖町〜静岡県御殿場市)

2018年11月23日〜24日

静岡県御殿場市山梨県富士河口湖町静岡県御殿場市 118 km

さて、今回は前回の旅から3ヶ月空いたが、その間は栃木県日光市にあるいろは坂に挑んだり、自転車とは無関係に宮崎への旅を楽しんだりしており、自転車による市町村制覇からは遠ざかっていた。しかし、11月になって秋風が深くなってきた折、一大プロジェクトを完遂したくなり、今回の富士山一周計画を立ち上げた。

日本で一番高い山という以上に、その美しさや文化的背景によって人々を魅了してきた山、富士山。その富士山を眺めながらその周囲を一周するコースも自転車乗りに人気で、私も今回挑戦してみたくなり、市町村制覇をかねて走ることとなった。

なお、本来は一日で完了するつもりが、いくつかの誤算により、二日間の旅になってしまった。

 

始点は半年前くらいに制覇した地、静岡県御殿場市である。御殿場駅から自転車を組み立て、時計回りで富士山一周に挑む。

スタートからいきなり上り基調の道となり、しばらくすると小山町に入った。道の駅すばしり(富士山登山口一つ、須走口の付近)を過ぎると本格的に峠道となる。このカゴ坂峠越えが本コース最大の難関となる。

峠の途中に「藤原光親の遺跡」というものがあった。どうやら藤原光親は承久の乱の際に朝廷方の首謀者の一人であり、この地は敗れて鎌倉幕府によって処刑された場所のようである。

その後もペースを上げすぎない程度に峠を登り続け、籠坂峠に到達した。標高は1104 mであり、御殿場市街からは600 m以上登った計算になる。

籠坂峠からは静岡県を出て山梨県山中湖村となり、300 mほど下ると富士五湖の一つ、山中湖に到達する。道志みちを走った際に行ったことがあるが、いつ見ても清澄な湖である。

山中湖を堪能した後、一旦国道を離れて忍野村に入った(残念ながら、カントリーサインは見当たらなかった)。忍野八海を見るのが目的である。忍野八海は地下水が湧き上がってできた多数の池の総称である。実際訪れてみると、鉱物が混じっているからか、かなり青みがかった池であり、非常に綺麗であった。

快晴だったため、池を挟んで富士山も見えた。また、人気の観光地らしく、人で賑わっていた。

忍野八海を出て富士吉田市、ついで未制覇だった富士河口湖町に入った。

程なく河口湖のほとりに到達した。河口湖は富士五湖の中でもアクセスが最も良く、多くの観光客で賑わっていた。山中湖と同様、河口湖の水も澄んでいた。割と橋マニアな私は、地図を見てぜひ行きたいと思っていた、下の写真の河口湖大橋を通った。湖上を走る橋であり、橋上からは素晴らしい景色が見えた。

その後湖北岸を進んでいくと、次第に湖の幅が細くなり、湖の西端に着いた。ここからは少し山道を上り、トンネルを抜けた。その後道は下りとなり、下り切ると西湖へたどり着いた。西湖も富士五湖であり、河口湖と比べ人は少ないせいか、その風景の静謐さが印象に残った。

向こう岸とその先の富士山を望む絶景も見ることができた。

西湖に別れを告げると再び上り基調になった。途中、青木ヶ原樹海に入った。富士山の樹海といえばこれであり、遭難もしくは自殺の名所?として有名である。

樹海に入ったあたりから日が傾きだし、気温が下がっていった。まだ冬でないと油断していた私は防寒具を持っていなかった。富士山周辺の高度を計算に入れていなかったことが原因である。ここらへんは標高800〜1000 mほどであり、平地よりも約6度気温が低くなる。11月のこの日でも気温は一桁台となり、防寒着なしで自転車で風を受ける私にとっては過酷な旅となった。

なんとか4つ目の富士五湖、精進(しょうじ)湖の東端までたどり着いた。精進湖は国道から脇道を少し入ったところに広がっているので、気力を振り絞り、湖の眺望が開けるところまで行った。

国道へ引き返し、再び上り基調の山中を走行して、最後の富士五湖本栖湖についた。湖面に写る逆さ富士が有名で、1000円札の裏面にも採用されている。しかし、またも国道からは少し離れて広がっており、余裕のなかった私は湖の東端をチラリと見ただけですぐに湖から離れた。

その後少し上り、ついに峠(割石峠)を越えて再び静岡県に入った。市町村で言うと富士宮市である。

県境からしばらくは朝霧高原と呼ばれる地が広がっている。牧場が点在している観光地である。大分日は暮れたが、まだ富士山は見えていた。

その後標高にして600 m以上下ったのだが、その途中で完全に日が暮れてしまった。出発時間が遅かったこと、冬至直前で日没時間が早かったことを計算に入れていなかったことで、寒さで身が凍えながら暗闇の中をダウンヒルする、危険な行動を行う羽目になった。しかし、なんとか富士宮市街にたどり着くことができた。

晩御飯は、富士宮B級グルメ富士宮焼きそばを食した。普通の焼きそばより麺が太く、もちもちした食感で美味しかった。

本来は一日で一周するつもりだったが、流石に暗闇の中、これ以上進む気にはならなかったので、1日目はここまでにした。宿泊は急遽、市内のスーパー温泉施設に入り、座敷で雑魚寝した。

 

後編へ続く