市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

福島県の米どころ「会津地方」へ向かおう①!(栃木県日光市〜福島県会津若松市〜福島県白河市)

2019年7月13日〜14日

栃木県日光市福島県会津若松市福島県白河市 206 km

前回の自転車旅から2ヶ月、例年以上に雨が多い梅雨の空に私は辟易としていた。雨は自転車の天敵の一つである。合羽を着ていても濡れるし、視界は悪くなるし、滑りやすいし、何一ついいことがない。なので、通常雨予報ならば自転車旅、それも泊りがけの旅は避けるが、連日雨が降る土日に耐えきれなくなり、梅雨が明けていないにもかかわらず今回は東北への宿泊旅を決行した。目指すは福島県の西部の内陸地方に広がり、四方を山に囲まれた地、会津である。

 

1日目

栃木県日光市福島県会津若松市 111 km

関東全県周遊自転車旅(本ブログ未掲載)で訪れたことのある日光市下今市駅までは輪行し、そこから自転車で北へ向かって出発した。

10kmほど北上すると鬼怒川温泉に辿り着く。ここは以前、純粋な温泉旅行で友達と訪れた地である。バブルの反動もあって温泉街は若干寂れ気味の箇所もあるが、今なお根強い人気を誇る温泉地であり、当時は紅葉シーズンだったため、赤に染まった鬼怒川の渓谷を見ることができた。

鬼怒川温泉を抜け、東武鉄道野岩鉄道の境界となる新藤原駅付近を過ぎると俄に上りの勾配が上がる。そして、鬼怒川も山林の遥か下に沈んでいく。

しばらく登ると勾配は落ち着き、やがて川治温泉に着いた。こちらもかなり人気の温泉街である。日光市には湯元温泉も含め、有名な温泉地が数多ある。社寺だけではない魅力が日光市には多い。

川治温泉郷の途中から再び勾配はきつくなり、人里離れた地となる。途中、五十里ダムが姿を現すとまたしばらく緩い坂となる。

ダム建設によって出現したダム湖を見ながらなおも北上する。人造湖だが、周囲が自然豊かなため、美しい景色である。

湖に浅い場所があったためか、珍しく、湖の中に木が生えている一角もあった。

ダム湖終結してしばらくすると再び集落が現れた。ちなみにこの三依の地にも温泉はあるが、温泉街らしきものはなかった。

鬼怒川もかなり上流に差し掛かっており、滝を見ることができた。

福島県への県境越えに挑む前に、少し寄り道をした。まるで文明的なものがなさそうな分かれ道の先を見て、本当に目的地に至る道なのか不安を覚えた。

500mほど進むと目的地に到着した。関東では一番の秘境駅と名高い、男鹿高原駅である。野岩鉄道の駅だが、周囲に全く民家はなく静けさに包まれている。

ただ、来訪者は多いようで、駅ノートにはたくさんの書き込みがあった(内容は一応非公開とする)。やはり秘境駅としての名声は大きいようだ。

さて、再び国道に戻り、県境越えに取り掛かる。この栃木、福島県境には山王峠が存在する。男鹿高原駅からの分岐点からは標高100m未満の上りだが、峠と名のつくだけあって、今までより勾配は急になった。

ただ、登りはすぐ終わり、トンネルとなった。本来、トンネルの先が福島県のはずだが、カントリーサインはトンネルの前に置かれていた。他の国道の福島県境にも置かれている、特徴的なクソでか看板である。これで長かった栃木県日光市も終わりである。

トンネルをすぎ、福島県南会津町に入った。二度目の東北侵入である。坂を下っていくと比較的すぐに坂は緩くなり、T字路となった。ここは右に曲がる。左に曲がると100km以上山道が続く(推定)地獄の旅路となる。

福島県に入ってからは、栃木県内とは打って変わって広い道となり、心なしか川周辺の平坦部も広々と感じる。東北のスケールの大きさを感じた。

下り基調の道を10kmあまり進むと、南会津町の中心地、田島市街に入った。市街にある会津田島駅会津鉄道ターミナル駅、乗り換え駅として充分な威容を持っていた。南会津町は4町村が合併した町で、温泉や湿原、スキー場があり、ソバ畑が広がるほか、尾瀬国立公園の入り口としても機能している。

市街を出た後は阿賀川の北岸に沿って走り、下郷町に入った。

程なく下郷市街に入った。古くは会津西街道という日光〜会津若松間を結ぶ街道の宿場町だったようだ。

せっかくなので下郷町の観光名所、「塔のへつり」に寄る。会津鉄道を横切った際、特徴的なキャラ電車がちょうど走っていた。

塔のへつり阿賀川のそばにある崖であり、単純に高さがあるだけでなく、木々や吊り橋、川とのコンストラクトも美しかった。

国道に戻り、阿賀川に沿って北上した。塔のへつりの造形からもわかる通り、ここら一帯は狭い谷となっており、人家も影を潜め、見えるのは澄んだ川面と山林がほとんどである。道も川に沿っているが山がちで、上り下りが激しかった。そのような道の途中で会津若松市に入った。本日の目的地である。

会津若松市に入っても上り下りは続き、疲弊した私の足を痛めつけた。それでも景色は美しく、小休憩しつつ進んでいった。

そしてついに視界は開け、会津盆地に突入した。福島県の米生産を支えているだけあって、田んぼが広がっていた。

そして、会津若松市街地に突入した。会津若松会津で最大の都市であり、人口10万人を擁する。古来より東北地方への抑えとして機能してきた会津の地の中心地として栄えた城下町である。

その城下町としての会津若松を象徴するのが、これから訪れる若松城、通称鶴ヶ城である。

城門からしてかなり立派である。

そして、鶴ヶ城の中心である、天守閣である。鶴ヶ城はもともと蘆名氏という会津の地方大名の居城だったが、豊臣政権による天下統一後、豊臣秀吉重臣である蒲生氏郷によって城下町を含め整備され、江戸時代の途中からは会津松平家の居城として親藩(徳川家の親戚)の会津藩の中心地となり、幕末の戊辰戦争では幕府を転覆させた明治政府に抵抗するため、会津藩がこの城に籠城し、政府軍と激戦を繰り広げた。白虎隊の悲劇が起きたのもこの地である。そんな歴史を思い浮かべながら、この天守を眺めた。

程なく日没となり、夕暮れの中、天守が映えていた。

鶴ヶ城から1km北上すると旧市街(元城下町?)と思われるような場所に着いた。先ほど説明した蒲生氏郷墓所とされる地もあった。

若松市街の案内板もあった。鶴ヶ城以外にもいろいろなスポットがあるようだ。

さらに1km北上すると会津若松駅に着いた。鶴ヶ城を模したと思われる駅舎である。

この日は駅を少し通り過ぎた郊外にあるネットカフェで一泊した。

2日目に続く