前回より続く
2日目
やはりネットカフェではあまり寝れず、重たい頭を抱えて2日目がスタートした。夜間に雨が降ったらしく、地面は濡れていた。会津若松市の郊外を北へ進み、会津盆地にあるもう一つの市、喜多方市に向かう。
途中、湯川村を通った。村とは言っても、一般的な村のイメージの山間には位置せず、盆地の真ん中にある。
なおも北上し、喜多方市街に入った。喜多方は会津盆地の北端に位置し、人口は4万人と会津若松市の半分くらいしかないが、場合によっては会津若松より有名な地名である。
今や日本人の国民食と言ってもいいラーメン。全国各地でさまざまな地元ラーメンがしのぎを削る中、喜多方は日本で最も有名なラーメンの一つ、喜多方ラーメンの発祥の地として知られる。
喜多方まで来てラーメンを食べないわけにはいかない、ということで今回は人気の喜多方ラーメン店である「ばんない」にお邪魔した。朝10時くらいに訪問したが、それでも長蛇の列ができていた。
1時間ほど待ってようやくラーメンにありつけた。醤油ベースの豚骨に背脂を浮かべたシンプルなスタイルだが、人気店なだけあってとても美味しかった。
ラーメンを食べ終わった後、喜多方駅に寄った。なかなか意匠を凝らした駅であった。喜多方は蔵の街としても知られているので、蔵を再現しているのかもしれない。
市街を出て、南へと引き返す。途中はひたすら田んぼが広がる景色である。盆地ということで、会津の平野は狭いイメージを持っていたが、今回の訪問でかなりの広がりを有していることを実感できた。さすが、福島県の米どころである。
市境まで戻った付近で国道を離れ、東南に向かった。途中、磐梯町に入った。その名の通り、福島県で最も有名な山、磐梯山の麓にある街である。
磐梯町に入ったあたりから上り坂がキツくなっていった。出発から降ったり止んだりしている雨に気を揉みつつ、蓄積した疲労を抱えながら、なんとか登っていった。そしてついに下りが始まった。この時点で標高200mから500m登った計算になる。ちなみにいつの間にか猪苗代町に入ったようだ。
少し坂をくだり、猪苗代盆地に入った。まずは猪苗代駅に向かった。猪苗代は明治時代に活躍した病理学者、野口英世の出身地であるらしく、等身大のパネルが駅構内にあった。
また、猪苗代町の南には福島県最大の湖、猪苗代湖が広がっている。せっかくなので湖畔まで行ってみた。大きさは日本第四位とのことだが、その肩書きに違わぬ巨大な湖であった。曇りなのであまり映えなかったが、水は澄んでいることもあり、晴れならば素晴らしい景色なのだろう、と口惜しく思った。
湖畔に別れを告げ、東に向かうと盆地から山間地帯になり、道も上り始めたが、程なくトンネルに入り、郡山市となった。
ここから一気に下っていくわけだが、折悪しく雨足が強くなり、スリップしないよう慎重に下っていった。
途中、有名温泉地の磐梯熱海の温泉街を通過したが、ますます雨が強まったので一旦雨宿りした。
雨が弱まったタイミングを見計らって再出発した。坂を降りきり、郡山市街に入った。郡山市は福島県第一位の人口を誇り、30万人が居住している。そのため、広範囲の市街地を有し、高層建築や商業施設も多いようであった。
今度は東北地方の基幹道路、国道4号線を南に下っていく。広かった郡山市街が尽きる頃、須賀川市に入った。
須賀川市は郡山市のベッドタウンとして一定の繁栄を享受している街である。国道を離れ、市街に寄ってみた。市街は丘の上に存在しているが、かなり賑やかで、かつ洗練されている印象であった。
再び国道に戻り、鏡石町、ついで矢吹町に入った。福島県はこのような多数の中小の町村が平成の大合併を免れて、残っている。鏡石町を通過している途中でまたしても雨が強くなった。こんなに強い雨が複数回降るのは自転車旅においては初めてのことであった。
矢吹町を通っている途中で一旦雨は弱まり、そのまま泉崎村に突入したが、またも雨が強くなった。
なんとか白河市まで入ったものの、これ以上進むモチベーションがなくなってきたため、日没までまだ時間はあるものの、白河駅までとし、そこから輪行で帰宅した。
旅の後半こそ悪天候に見舞われたが、会津盆地をはじめとした東北のスケールの大きさに圧倒され、これ以降の、私の東北好きが高まる契機となった、記憶深い旅であった。
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今回の制覇市町村:福島県南会津町、下郷町、会津若松市、湯川村、喜多方市、磐梯町、郡山市、須賀川市、鏡石町、矢吹町、泉崎村、白河市
制覇状況:244/1,718