市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

長野県南部の盆地「伊那谷」を走ろう!(長野県茅野市〜飯田市)

2019年8月3日

長野県茅野市飯田市 84 km

今回は、かねてから走ってみたかった長野県の「ビーナスライン」を通って「美ヶ原高原」を目指す旅になるはずだった。そこで、ビーナスラインの起点である茅野市街にある茅野駅まで輪行してやってきた。

ここから市街地を抜け、ビーナスラインの最序盤の平坦区間を走っていたのだが、急に大雨が降り出した。すでに時刻は午後を回っており、雨が止むのを待っていると美ヶ原には辿り着けないと判断し、予定を変更して、未踏の地である「伊那谷」に向かうことにした。

伊那谷は長野県南部の盆地であり、中央アルプス南アルプスの2山脈の間に流れる天竜川沿いに細長く広がっている。

諏訪湖南岸を通って岡谷から天竜川沿いに走った。ちなみに天竜川は諏訪湖から流れだしており、川の起点としては珍しい。しばらく走ると辰野町に入った。

川沿いの林をなおも走るとにわかに風景がひらけ、伊那谷、続いて辰野市街に入った。辰野駅は人口2万人弱の小自治体にしては新しく、立派な駅であった。

国道153号線に合流し、箕輪町、ついで南箕輪村に入った。それぞれ町村といえど人口は1万人を超えており、国道沿線もかなり栄えているようだった。ちなみに南箕輪村には信州大学農学部キャンバスがあり、村としては珍しい大学所在地である。

どうやらいつの間にか建設中のバイパスを走っていたようであり、伊那市に入ってしばらくすると道が途切れてしまった。仕方なしに2kmほど西で併走していた旧国道に合流した。

旧国道に合流してしばらく走るとまたもや伊那市カントリーサインに遭遇した。どうやら知らぬ間に南箕輪村に戻っていたようである。旧国道は長野県特有のイラスト付きカントリーサインにグレードアップしていた。伊那市カントリーサインにあるのは春日城址公園の桜と木曽山脈であろう。

谷とは名がつくが、伊那谷の幅はかなり広く、一面田んぼが広がっていた。

今回、伊那市街はスルーしたが、以前に鉄道旅で飯田線に乗った際に伊那市街を散策したのでその写真を載せる。伊那市伊那谷北部の中心都市である。駅周辺は古びた建物が並ぶ、ザ旧市街という街並みになることが多いが、伊那駅周辺はかなり新しい建物が並ぶ、生き生きとした区間もあった。

市街のすぐ東側には天竜川の清流が流れていた。上流とは思えない川幅と水量であった。

さて、伊那市を出て宮田村に入った。こちらは人口8000人ほどで市街地もそれ相応に感じた。ちなみに宮田村は一度宮田町として南隣の駒ヶ根市と合併した後、宮田村として分立、復活したという珍しい経緯を持っている。

駒ヶ根市に入った。ここまで道は平坦だったが、宮田村から駒ヶ根市街にかけては坂の上り下りが連続してあった。

駒ヶ根市街に入った。駒ヶ根は市名の由来となった木曽駒ヶ岳をはじめ、周辺の木曽山脈の山々の玄関口として機能しており、登山客の来訪は多いようである。ただ、人口は伊那市の半分ほどで、心なしか古めの建物が多いようであった。

飯島町に入った。カントリーサインにあるのは江戸時代にあった飯島陣屋であるらしい。この町の途中から道は一気に下り坂が多くなった。

その後中川村、松川町、高森町と、次々と町村を制覇した。ここら辺は平成の合併を耐え抜いた町村が数多く点在する。伊那谷中部のこの一帯は日本の大都市圏から物理的にも交通的にも遠く離れた「絶陸の孤島」であるにも関わらず、どのようにして存続し続けたのか、興味はあるが今日に至るまで答えには巡り会えていない。

そのような「絶陸の孤島」の空白地帯にぽつねんと現れる10万都市が、伊那谷最大の市、飯田市である。

飯田市は城下町、宿場町として栄え、天竜峡やりんご並木、飯田城跡など名所も多い。飯田市街も伊那市同様、前の鉄道旅で訪れたので、今回ではなく以前の写真となるが、駅前から伸びる道はかなり栄えており、人も多かった。ちなみに飯田城跡含む飯田市街は丘の上にあり、往時は当地が要害の地であったことを窺わせる。

今回の旅では飯田市に入ってすぐの元善光寺駅から松本駅に至り、そこのカプセルホテルで一泊し、翌日改めてビーナスラインを走ることにした。その模様はまた次の記事で記したい。

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今回の制覇市町村:長野県辰野町箕輪町南箕輪村伊那市、宮田村、駒ヶ根市飯島町、中川村、松川町、高森町、飯田市

制覇状況:255/1,718