市町村制覇記

自転車で日本の全市町村を制覇する過程を記録するブログ

自転車で実家に帰ろう!東京から京都へ至る旅⑤(三重県四日市市〜京都府京都市)

5日目:三重県四日市市京都府京都市

走行距離:100 km

この日もいい天気であった。市の中心駅といえる近鉄四日市駅に立ち寄ってから、国道1号線に沿って南西に進んだ。

鈴鹿市に入った。鈴鹿サーキットで有名な工業都市だが、今回は市の中心部には寄らず、その北側を通過した。

途中、東海道の旧宿場町である石薬師、庄野も通過した。

そして亀山市に入り、市街地を抜けた。亀山宿があった地であり、伊賀方面に抜ける道と滋賀方面に抜ける道、そして津市、松坂市などの三重県南部に抜ける道が交わる交通の要衝である。

そして滋賀県三重県を跨ぐ鈴鹿峠の麓にある旧関町にたどり着いた。関宿があった場所であり、その面影を残している。

伊賀方面へ向かう国道25号線と分岐して北西へ向かい、いよいよ鈴鹿峠に入った。勾配はあまりないが、標高差は300 mくらいあり、これまでの疲労も蓄積していたので、ゆっくり登った。峠の途中には坂下宿があった地も存在する。

峠の終盤はつづら折りの道になり、勾配も少し急になった。そしてついに峠の終わりを告げるトンネルが見えた。

トンネルを抜ければそこはもう滋賀県である。ついに近畿地方に突入したのである。

甲賀市は伊賀とともに忍者の里として有名な地である。平成期にいくつかの町村が合併してできており、面積が大きい。急な下り坂を少し下った後は、ほんの少し下り基調の道を快調に飛ばした。途中、土山宿のあった道の駅あいの土山で休憩した。

忍者屋敷など、甲賀市の様々な名所が載った地図もあった。このような地図を眺めるのは大好きである。今回は時間がないため、残念ながら名所には立ち寄らなかった。

なおも北西へ進み、甲賀市の中心地である旧水口町に到着した。水口宿があった地でもある。甲賀市役所も道の途中にあった。

湖南市に入り、市の中心部である石部を通過した。石部宿のあった地である。

栗東市に入った。草津市大津市まで続く市街地に入り、北陸から来た国道8号線と合流し、4車線になった。

草津市に入った。大津市に次ぐ滋賀県第二の都市であり、草津宿のあった地であり、古来より交通の要衝として栄えてきた。京阪神圏のベッドタウンとしても重要である。

草津駅の周辺もかなり栄えている。いよいよ近畿都市圏に入ったという実感が湧いてくる。

大津市に入った。滋賀県の県庁所在地であり、琵琶湖の主要な港であり、京都の外港として栄えた大津港がある。天智天皇の時代には都が置かれた地である。東海道最後の宿場町でもあった。

瀬田川を超え、大津市街の南側を抜けた。大津駅周辺で上り坂となり、逢坂山の麓を通る。東海道の重要な関所である、逢坂関があったのもこの周辺である。

標高200 m近くまで登って下りに転じ、ついに我が故郷である京都府京都市に入った。言わずもがなであるが、京都市は794年の遷都から1868年に東京へ首都機能が移されるまで、1000年以上日本の都であった地である。現在も人口は140万人以上存在し、大阪市、神戸市と共に近畿地方の主要都市として、また一大観光地として大いに栄えている。

京都は周辺を山に囲まれた地である。山科の盆地を抜けると、再び上り坂となった。ちなみに旧東海道京都府に入ったあたりで国道1号線に別れを告げ、府道143号線に合流する。今回もそのルートをとっている。

 

少し上って日岡峠を越えて蹴上、東山を通過し、ついに三条大橋に到着した。東海道の終点である。これにて東京日本橋から始まった東海道を辿る道のりは終わった。

ただし、最終目的地である実家のある福知山市はここからまだ85 kmほど先にある。今日は京都市にある祖父母の家にお邪魔し、そこで宿泊した。

 

6日目に続く